なぜ「鰹節」にカビをつけるのか?江戸時代の日本で完成した画期的な発酵の知恵
朝ごはんの味噌汁。湯気とともに広がるあの香りと深いうま味は、「鰹節(かつおぶし)」のおかげです。けれど、ただのだしの材料と考えてしまうと、その背後にある歴史や人々の知恵を見逃してしまいます。
鰹節は、古代から現代まで日本の食文化を支えているのです。
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”和食”が健康にいい本当の理由。「発酵食品」がカギを握る日本の食文化の真髄 古代から戦国時代へ――保存の知恵として鰹は古墳時代の記録に「堅魚(かつお)」として登場し、大和朝廷に献上されるほど大切な存在でした。しかし魚はすぐに傷むため、どうやって保存するかが人々の課題でした。
やがて、囲炉裏の上で燻して乾かす「焙乾(ばいかん)」という方法が生まれます。硬く乾いた鰹節は長持ちする保存食となり、戦国時代の武士たちは兵糧として戦場に持ち込みました。
1513年の「種子島家譜」にも、鹿児島の臥蛇島で盛んに鰹節が作られていたことが記録されています。
江戸時代に完成した「今の鰹節」江戸時代に入ると、日本各地で食文化が大きく発展しました。その流れの中で、鰹節もさらに進化を遂げます。
とくに土佐(高知)や薩摩(鹿児島)では、従来の焙乾だけではなく「カビ付け」という独自の技法が考案されました。これは、乾燥させた鰹節にカビを生やし、さらに発酵・乾燥を繰り返す方法です。カビの働きによって余分な水分が取り除かれ、雑味が消え、香りとうま味がぐっと深まります。その結果、鰹節はより軽く、硬く、長期保存に適したものとなりました。
この技術はまさに世界でも珍しい「発酵を利用した鰹節作り」であり、現在の鰹節の姿がここで完成したといえます。
江戸の町では人口が増え、外食文化も栄えていきました。蕎麦屋、うどん屋、寿司屋などが広がる中で、だしの需要は急速に高まります。そうした背景もあり、鰹節は単なる保存食から「料理の味を決める決定的な存在」へと変わっていきました。
さらに、この時代に昆布との「合わせだし」が定着しました。昆布のグルタミン酸と鰹節のイノシン酸が合わさると、うま味が飛躍的に増すことが知られるようになったのです。
これは現代の科学でも裏付けられており、日本人が経験的に見つけ出した画期的な発明でした。
江戸後期には、各地で鰹節の産地競争も起こります。薩摩の鰹節は「本枯れ節」と呼ばれ、品質の高さで知られるようになり、土佐節、伊豆節などと並んで江戸の市場に並びました。
庶民にとっても鰹節は欠かせない調味料となり、贅沢な味わいを演出する食材として広まっていったのです。
つまり江戸時代は、鰹節が「戦国武士の兵糧」から「日本の食文化の象徴」へと生まれ変わった時代でした。そしてこの時期に築かれた技法と味覚が、現代の和食にそのまま受け継がれているのです。
実は外国にもある鰹文化実は、鰹を乾燥させて保存する文化は日本だけではありません。インド洋のモルジブでは「ヒキ・マス」と呼ばれる保存食があり、1300年代には海外輸出もされていました。日本と南の島、遠く離れた地域が同じ魚を工夫して利用していたなんて、ちょっと不思議ですね。
こうして振り返ると、鰹節はただのだしの材料ではありません。古代の献上品であり、戦国時代の武士を支えた兵糧であり、江戸時代に洗練された食文化の礎でもありました。その存在は、いつの時代も人々の暮らしに深く関わってきたのです。
だからこそ、私たちが日々飲む味噌汁の一杯には、千年を超える知恵と工夫の歴史が溶け込んでいます。そう思いながら箸を手に取ると、普段の食事も少し特別なものに感じられるのではないでしょうか。
参考文献 :宮下章『ものと人間の文化史シリーズ97 鰹節』(2000 法政大学出版局)
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