「鎮魂の地」という素顔——大阪有数の人気スポット、道頓堀・千日前の知られざる歴史[前編] (3/4ページ)
戎橋(えびすばし)は千日前墓地の入り口だった
その道頓堀川に架かる戎橋は、繁華街の中心である心斎橋筋と戎橋筋を結ぶ位置にある。かつてこの橋は、大阪有数のナンパスポットとして知られ、地元では「ひっかけ橋」の愛称でも親しまれている。
戎橋の歴史は古く、1612年(慶長17年)に本格的に始まった道頓堀川の開削計画とともに構想され、1615年(元和元年)に木橋として架けられたとされる。
その1615年(元和元年)には、豊臣氏が徳川氏によって滅亡に追い込まれた大坂夏の陣が起きた。徳川家康は豊臣秀頼を滅ぼすと同時に、豊臣時代の大坂を徹底的に破壊したと伝えられている。秀吉が築いた大坂城は取り壊され、その上に土を盛って新たに徳川大阪城が築かれ、城下町も再整備された。
この年に戎橋が設けられたのには理由がある。それは、江戸時代におけるミナミの発展と深く関係していた。徳川氏によって新たな大阪の街が整備されると、道頓堀の北側に位置する島之内の六軒町や宗右衛門町は、船場の職人たちの遊興地として栄えた。
一方、道頓堀の南側は、役者たちの暮らしの場であり、芝居や興行の中心地として発展した。夜のネオンが輝く島之内や、松竹座の灯りに彩られる現在の情景は、すでに江戸時代初期にその原型が形成されていたといえる。