大河予習【豊臣兄弟!】秀吉を支えた兄弟の絆…仲野太賀が演じる戦国武将・豊臣秀長の生涯

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大河予習【豊臣兄弟!】秀吉を支えた兄弟の絆…仲野太賀が演じる戦国武将・豊臣秀長の生涯

来年のことを話すと鬼が笑うなどと言いますが、楽しみにしていることは早く話したいのが人情というもの。

来る令和8年(2026年)NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、仲野太賀が戦国武将・豊臣秀長(とよとみ ひでなが)を演じます。

ご存じ天下人・豊臣秀吉の弟ですが、今ひとつ影が薄い印象が否めません。果たしてどんな生涯をたどったのか、予習しておきましょう!

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秀吉の誘いで渋々?武士に

『絵本太閤記』より、信長に仕えた若き日の秀吉。

豊臣秀長は天文9年(1540年)、尾張国愛知郡中村(愛知県名古屋市中村)で百姓夫婦の倅として誕生しました(秀長の生年は諸説あり)。

両親は木下弥右衛門(やゑもん)と仲(なか。後の大政所)。3歳年長の秀吉とは実の兄弟です。

通説では秀吉の異母弟(父親は竹阿弥)と言われて来ましたが、近年の研究では弥右衛門の倅と考えられています。

幼名は不明、元服して通称を小一郎と名乗りました。

※今回は分かりやすさのため「秀長」で統一します。

早くから家を飛び出してしまった秀吉に代わって百姓家業を継ぎ、懸命に働いていた永禄4年(1561年)ごろ。

10年以上もどこをほっつき歩いていたのか、秀吉が家に帰ってきたのです。

「おみゃあも武士になれ!」

「は?」

聞けば秀吉はあちこち渡り歩いたすえ織田信長に仕官し、より一層奉公するために信頼できる人材を探していたのでした。

元々百姓の小倅に過ぎない秀吉は満足な人脈がなかったため、まずは弟から声をかけたのです。

田畑も家族もあると言うのに、こいつは何を言っているんだ……秀長が困惑したことは、想像に難くありません。

しかし秀吉はお構いなし、何やかんやで秀長を「第一の家来」に仕立て上げてしまいました。

その後、秀長は生涯にわたり秀吉にとって「第一の家来」であり続けたのです。

兄弟で死線をくぐる

歌川豊宣「新撰太閤記 稲葉山落城」より、奮戦する羽柴小一郎秀長(中央)。

かくして秀長が百姓から武士となった時期について、はっきりした事は分かっていません。

推測される限り、永禄3年(1560年)に信長が今川義元を撃破した桶狭間の合戦以降から、美濃国攻略以前と考えられます。

尾張一国を統一した信長は美濃国(岐阜県南部)へ進出。秀長も秀吉に連れられて、その最前線を駆けずり回ったことでしょう。

才気走るあまり、往々にして敵も作りがちだった秀吉のフォローに奔走し、蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)や前野長康(まえの ながやす)、竹中半兵衛(たけなか はんべゑ)らを味方に加えていきました。

こうした秀長たちの支えもあって、秀吉は着々と織田家中における地位を向上させていったのです。

しかし秀吉の天下獲りは常に順調だった訳ではなく、時には生死の境をくぐり抜けねばならないこともありました。

例えば元亀元年(1570年)の金ヶ崎合戦では、織田家の盟友であった浅井長政(あざい ながまさ)の裏切りにあい、背後から襲撃を受けてしまいます。

大混乱の中で信長は真っ先に逃げ帰り、秀長は殿軍(しんがり)を引き受ける秀吉に従いました。

秀長はわずかな手勢で金ヶ崎城(福井県敦賀市)に立て籠もり、敵の追撃を食い止める役割を担います。

幸い敵も追撃するほどの余裕はなかったようで、秀長も秀吉も命拾いしたのでした。

こうした危険な任務を成功させたことで、秀吉兄弟は百姓上がりであっても一目置かれるようになっていったのです。

秀吉の天下統一を見届ける

豊臣秀長(画像:Wikipedia)

それからも命がけの奉公を重ねた秀長は、秀吉の片腕として文武にわたり活躍しました。

信長が秀吉に中国攻めを命じた際は、天正5年(1577年)に竹田城(兵庫県朝来市)を攻略します。

秀吉はこの武功を称え、秀長を城代として但馬国(兵庫県北部)の統治を任せました。城代とは言え、百姓の倅から一国一城の主にまで成り上がったのです。

信長からも秀吉と同格の武将と見られていたようで、天正7年(1579年)の三木城攻めに際しては、秀吉経由でなく信長から直命を受けました。

翌天正8年(1580年)には英賀城(あがじょう。兵庫県姫路市)も攻略し、この武功によって出石城(いずしじょう。兵庫県豊岡市)と10万5,000石の所領を与えられます。

天正10年(1582年)に起こった本能寺の変で信長が横死を遂げると、秀長は秀吉と共に謀叛人の明智光秀を討ちました(山崎の合戦)。

その後、織田家中における主導権争いを勝ち抜き、永年のライバルであった柴田勝家を敗死せしめます(賤ヶ岳の合戦)。

かくして秀吉は織田家の勢力に背乗りする形で権力を奪取。次なる天下人として振る舞うに至りました。

秀吉が大坂に本拠地を構えると、秀長はその南を固めるために紀伊国(和歌山県)を中心に64万石を与えられます。

そして秀吉が関白となった天正13年(1585年)には、大和国(奈良県)など100万石の大大名となったのでした。

まさに栄耀栄華を極めた秀長ですが、永年の労苦がこたえたのか、次第に体調を崩すようになります。

天正15年(1587年)以降は戦陣に参列できなくなり、病状が深刻化した天正17年(1589年)ごろからは政治活動についても引退しました。

何とか生き延びて天正18年(1590年)に秀吉が天下統一を果たすまでは見届けたものの、翌天正19年(1591年)に52歳で世を去ります。

秀長の死因は病死と言われていますが、秀長の死が豊臣政権に与えた影響の大きさから、暗殺説もあるようです。

終わりに

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」より、左が仲野太賀演じる秀長。NHK公式サイトより。🄫NHK

今回は秀吉の天下獲りを支え続けた弟・豊臣秀長について、その生涯を駆け足でたどりました。

秀長の死によって、晩年の秀吉が暴走を止められず、豊臣政権が傾く遠因になったとも言われています。

まさに豊臣政権の盛衰を象徴するキーパーソンだったと言えるでしょう。

令和8年(2026年)NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、どんな秀長像が描かれるのか、仲野太賀の好演に期待大です!

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※参考文献:

桑田忠親 編『豊臣秀吉のすべて』新人物往来社、1981年9月 新人物往来社 編『豊臣秀長のすべて』新人物往来社、1996年7月

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