朝ドラ「ばけばけ」実際に物乞いまで落ち、その後は…雨清水タエ(北川景子)のモデル・小泉チエの生涯
朝ドラ「ばけばけ」には、実在の人物をモデルにしたキャラクターが数多く登場します。
雨清水タエもその一人。彼女のモデルは、小泉セツの実母・小泉チエです。彼女にも波乱の生涯がありました。
松野トキの実母・雨清水タエ(演:北川景子)。小泉チエをモデルとしている(公式Xより)。
チエは松江藩の名家に生まれ、小泉湊に嫁いで子宝に恵まれます。しかし幸せな時間はそれほど続きませんでした。
本記事ではチエの生涯を辿りながら、彼女の周囲の人々や出来事に触れていきます。チエは何を感じ、どう生きたのでしょうか?
小泉チエの生涯を見ていきましょう。
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塩見家は1400石を領有する藩内屈指の名家。家中でも三職(家老・中老・番頭)のうち、家老と中老を務める人材を輩出していました。
父・増右衛門も松江藩家老を拝命。藩主・松平斉貴を諌めるために、陰腹を切ったほどの人物でした。
例え高禄の家老といえども、命を懸けて武士道を貫く。その生き方は、チエとその子供にもつながったと思われます。
松江のメインストリーである塩見縄手。チエの先祖・塩見小兵衛が由来。
嘉永3(1850)年ごろ、チエは結婚。しかし婚礼の夜に夫が不銀密通をしていた侍女と心中して果ててしまいました。
翌嘉永4(1851)年ごろ、チエは2度目の夫となる小泉弥右衛門湊と結婚。小泉家は藩の番頭を務める家柄でした。湊との間には11人の子供を授かります。
慶応4(1868)年2月には、次女・セツを出産。のちに小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻となる小泉セツでした。
セツはわずか生後七日で松江藩士である稲垣金十郎・トミ夫妻の養女となります。これは親戚関係にある両家が事前に決めたことでした。
チエにとって、激動の前半生であったことがわかりますね。
没落の日ー湊の病没と家計の逼迫明治維新を迎えると、松江藩の士族(旧武士)たちは困窮に喘ぐこととなります。
秩禄奉還や廃藩置県によって、収入を断たれた士族が急増。チエの小泉家とセツのいる稲垣家も例外ではありませんでした。
朝ドラ「ばけばけ」雨清水傳(堤真一)のモデル、幕末の長州征伐で武功を挙げた小泉弥右衛門湊の晩年の苦境明治8(1875)年、チエの夫・湊は秩禄を奉還。代わりに金子を調達し、工場を築いて機織会社を始めました。これにより、小泉家では多くの士族の子女を雇い入れて困窮を救おうとします。
時同じくして、セツのいる稲垣家では商売に失敗。セツは教師の夢を断念して湊の機織工場で11歳から働き始めます。
小泉家の紡績会社は、一時期は販路を大阪にまで拡大。好調な業績を挙げていったかに見えました。しかし業界全体の斜陽に向かっていたこともあって、業績は徐々に悪化。工場の担当であった長男・氏太郎が町娘と駆け落ち同然で出奔するなどの悲劇も続きます。
この頃の夫・湊はリウマチが悪化して床に伏せるようになっていました。しかし妻のチエは生粋のお嬢様であり、家事は愚か看病もろくにできません。
記録によると、この頃のチエは教養豊かな武家の娘ゆえに生計労働への適応が難しかったことがわかります。そこで実の娘のセツが湊の看病をしていました。
明治18(1885)年、夫の湊が病没。三男・藤三郎が家業を継ぎますが、家運は急速に傾いていきました。
やがて機織会社は倒産。小泉家は没落することになります。
機織会社が倒産後、チエはどうしたのでしょうか。
チエは物乞いとなるまでに落ちぶれ…記録によると、物乞いとなるまでに落ちぶれていたようです。
『山陰新聞』によると「乞食までに至りし」と紹介。西田千太郎(彼の家はチエの実家・塩見家の家来筋)の『西田千太郎日記』によると「救済」という言葉が使われていました。
ドラマ『ばけばけ』でも、チエをモデルとした雨清水タエが凛とした様子で物乞いをしているシーンがありましたね。
当時の人はチエの様子をして「美人のおこも(物乞い)さん」とも言っていたようです。物乞いとなっても、佇まいだけは正していた…そんな雰囲気さえ感じます。
明治24(1891)年2月、セツがイギリス人の英語講師であるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と結婚しました。
以降、高給取りであるハーンのお陰で、チエや稲垣家の面々の暮らしぶりは変わったと想像されます。
実際にチエの息子・小泉藤三郎は、セツやハーンの援助で生活しており、チエも助けられていたようです。
苦難の末、チエはようやく安定した暮らしを手にすることが出来ました。
大正元(1912)年1月、チエは世を去ります。享年74。
チエは武士の娘として生まれ、誇り高く生き、それゆえに苦しみを抱えた人生でした。彼女の生き方は、セツの生き方にも深く根ざしていくのです。
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