【べらぼう】史実、その後の二人は?歌麿から見捨てられた蔦重が決定的に欠けていたもの
「蔦重とは、終わりにします」
喜多川歌麿(染谷将太)が西村屋万次郎(中村莟玉)に告げたこの一言。永年にわたる蔦重(横浜流星)への想いを断ち切り、新たな舞台へ旅立とうとする決意が表れていました。
これまで歌麿の想いによって、何とか保たれていた二人の関係。それが度重なる蔦重の無神経さによって、とうとう断たれてしまったのです。
なぜこんな事になったのか、今回は蔦重に欠けていた側面から考察して行きましょう。
蔦重には、リスペクトがない
これまで蔦重のクリエイター(浮世絵師や戯作者など)に対する態度を見ていると、彼らを「作品が売れるか否か」で評価しているように感じられます。
※歌麿に対しては若干の特別感はあったものの、次第に単なる「お抱え絵師」と同じになっていきました。
もちろん経営者として必須の感覚ではあるものの、蔦重の場合はそれがいささか行き過ぎているのではないでしょうか。
これまで多くの成功経験を重ねてきたことが驕りとなり、
「俺がお前に『売れる』というお墨付きを与えたぞ。嬉しいだろ?いい話だろ?感謝してバンバン書いて(描いて)くれ」
とでも言わんばかりの態度が時おり垣間見えました。
確かに駆け出しのクリエイターであれば、それで奮起する者も少なくありません。実際の蔦重も、そうやって多くのクリエイターを奮い立たせて来たのだと思います。
しかし本作における歌麿のように、売れる・儲かることよりも純粋に創作を大切にしたい者にしてみれば、何も響かないでしょう。
「必要なのはお前の名前(ブランド)であって、絵自体は弟子が描いたものでいい」
などと言われてしまったら、百年の恋も醒めようというものです。
自分の絵でなくてもいいなら、もはや自分である必要はないし、力を貸したくもない。かくして歌麿は、リスペクトのない蔦重を見捨てたのでした。
蔦重には、積み重ねがない
気安く肩を組むけれど、組まれた相手が何を思っているか、までは感じとれない。「肩を組めば万事解決!」気質が抜けない蔦重。大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより ©️NHK
これまで蔦重は人を乗せて誑(たら)し込んで商売につなげ、吉原者から日本橋の書肆にまで成り上がりました。
しかし悲しいかな、ここまでの蔦重を見ると他者に配慮できる教養も、他者に寄り添える感性も持ち合わせていないようです。
教養に乏しければ思考が深まらず、感性が鈍ければ物事の本質をとらえるのは難しいでしょう。
こうした資質を備えるには、付け焼き刃ではなく、永い歳月をかけた積み重ねが欠かせません。
しかし本作の蔦重は教養も感性も積み重ねることなく、ただひたすら時代の徒花(田沼時代の亡霊?)として現実に抗うばかりでした。
基本的に努力していない訳ではないのですが、その努力は外的な働きかけに終始しており、自身の内に積み重ねる(自分を高める)様子はほとんどありません。
「書を以て世を耕す」と志こそ高いものの、その陰ではクリエイターやスタッフを悪気なく搾取し、自分の正義を貫こうと周囲の者たちを窮地に巻き込んできました。
かの身上半減にしても、おていさん(橋本愛)に引っぱたかれ、鶴屋さん(風間俊介)にキレられてもどこまで反省しているのか……。
事業が忙しいのは分かりますが、例えばおていさんから論語の一つも手ほどきしてもらうだけでも、結果は違ったのかも知れませんね。
輝いて見えた?万次郎の存在
与八だけの誘いなら、断って終わりだったはず。しかし万次郎の創作意欲が、歌麿の心を揺るがした。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。🄫NHK
そんな蔦重に対して、西村屋万次郎の存在は、歌麿の目にどう映ったでしょうか。
純粋に自分が描いた自分の絵を愛してくれる。
新しいアイディアで、一緒に可能性を追求したいと言ってくれる。
単なる本屋板元とお抱え絵師という力関係ではなく、共に同じ未来の可能性を目指す仲間として、実に魅力的だったはずです。
養父の西村屋与八(西村まさ彦)だけだったら、誘われてもキッパリ断って終わりだったでしょう。
それこそ名前の位置が上だの下だの、歌麿にしてみれば瑣末なことでした。
※他の有名絵師が手がけた作品を見ると、確かに名前が上にくることが多いようです。
しかしそんな離間(仲を裂く計略)など関係なく、歌麿は蔦重を捨てて万次郎とやって行きたいと思ったのでした。
かつて蔦重の隣でワクワクしていた自分が、万次郎と一緒なら叶えられる。そんな期待から、蔦重との決別宣言が発せられたのでしょう。
【ネタバレ?】蔦重と歌麿、それぞれの晩年
「何があっても、俺だけはずっと隣にいる」と言っていたけど……。大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより ©️NHK
かくして蔦重の元を去った歌麿。実際のところはどうだったのかと言うと……。
蔦重との蜜月期を過ぎた歌麿はあちこちの板元から引っ張りだことなり、寛政7〜8年(1795〜1796年)ごろには最大で40以上の板元と契約していたと言います。
こうなるともう、一点一点を丁寧に描くなんてやっていられません。言葉は悪いですが粗製濫造が目立つようになりました。弟子にも手伝わせて量産体制を構築していたことでしょう。
それでも歌麿の人気は衰えることなく、浮世絵界の権威となっていきます。
そして最晩年に歌麿が身体を壊し、回復の見込みがないと知るや「描かせるなら今のうち」とばかりに注文が殺到しました。
本当に「絵師を何だと思っているんだ」と怒り出しそうですが、劇中ではこの鬼畜な板元たちを蔦重一人に集約したようです。
【べらぼう】喜多川歌麿(染谷将太)の生涯——浮世絵の権威から蔦重との別れ、画力・心身ともに衰弱へ…いっぽう歌麿に去られた蔦重は、歌麿との関係修復を図りながらも新たな看板絵師を探します。
そして発掘したのが東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)こと斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろうべゑ)でした。
これまでにない新たな切り口で勝負を挑みましたが、歌川豊国(うたがわ とよくに。初代)の前に敗れ去ります。
リアリティ重視の写楽に対して、理想化重視の豊国。確かに写楽の画風は面白いものの、だからと言って「買う」までには至らないのが玉に瑕。いくらクオリティが高くても、買ってもらえなければ商売になりません。
かくして写楽は2年弱という短期間で、歴史の表舞台から姿を消したのでした。
【べらぼう】蔦重が世に送り出した東洲斎写楽のライバル・歌川豊国とは?気になる勝負の結果は…そして寛政9年(1797年)、蔦重は脚気のために48歳で世をさることになります。
終わりに
今回は歌麿に捨てられた蔦重に欠けていた資質や、二人のその後について考察してきました。
蔦重は写楽が去った後も歌麿との関係修復に努め、また二代目蔦屋重三郎も歌麿との関係修復を図っています。
よほど得難い存在であったにもかかわらず、去られてから初めて気づかされたのでしょう。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、今後二人の関係がどのようになっていくのか、心して見守りたいです。
※参考文献:
浅野秀剛『別冊太陽 245 歌麿 決定版』平凡社、2016年12月 田辺昌子『もっと知りたい蔦屋重三郎 錦絵黄金期の立役者』東京美術、2024年12月 吉田暎二『吉田暎二著作集 浮世絵師と作品第1』緑園書房、1963年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

