【べらぼう】『膝栗毛』が大ヒットするも孤独な晩年…十返舎一九(井上芳雄)の生涯と辞世の句 (2/4ページ)

Japaaan

はじめ江戸へ出て武家に奉公し、天明3年(1783年)に大坂町奉行の小田切直年(おだぎり なおとし)に仕えたといわれますが、詳しいことは分かりません。

寛政元年(1789年)に近松与七の名義で『木下蔭狭間合戦(このした かげはざまがっせん)』を合作。物書きとしてデビューを果たしました。

この頃に知り合いの材木商に婿入りしますが、ほどなく離縁してしまいます。

やがて寛政6年(1794年)になると江戸へ戻り、蔦重の元へ転がり込みました。

下働きはもちろん、絵も描けたので重宝され、寛政7年(1795年)には蔦重の勧めで黄表紙を手がけるようになります。

『心学時計草(しんがくとけいぐさ)』はじめ多彩な作品を世に送り出し、文も絵もいける戯作者として活躍しました。

『膝栗毛』大ヒットと孤独な晩年

「東海道中膝栗毛」より、弥次さん喜多さんが石をかじって大騒ぎの場面。芳幾筆

やがて寛政9年(1797年)に蔦重が世を去り、享和2年(1802年)に出版した『東海道中膝栗毛』が大ヒットを飛ばします。

一躍売れっ子作家となった一九は文政5年(1822年)まで約21年間にわたって『膝栗毛』シリーズを連載しました。

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