【べらぼう】『膝栗毛』が大ヒットするも孤独な晩年…十返舎一九(井上芳雄)の生涯と辞世の句 (3/4ページ)

Japaaan

続きはまだかと矢の催促で、板元から係が来て机の横で原稿を待っている状態に。何だか、現代の作家と編集者みたいですね。

他にも多くの作品を世に送り出した一九。しかしその作風は、山東京伝(古川雄大)や曲亭馬琴(滝沢瑣吉。津田健次郎)に比べて知性や独創性、緻密さに欠けていると評価されています。

しかし時代の流行や人々の好みを逸早く汲みとり、先行作品に「おっかぶせ」ることで読者の評判を勝ち取ったのでした。

※屋号の十返舎は「十」回繰り「返」し焚いても香りを失わない黄熱香(蘭奢待)からとったとか。同じネタを繰り返し焚いても、読者を飽きさせなかったのでしょうね。

そんな一九の創作品数は580種を超え、曲亭馬琴と並び執筆活動のみで生計を立てた専業作家のさきがけと言われています。

しかし文化7年(1810年)で眼病を患い、しばしば再発。また文政5年(1822年)には中風(脳卒中)を患い、不自由な身体を引きずる孤独な最期だったとか。

そして天保2年(1831年)8月7日に67歳で世を去りました。辞世の句はこちらです。

此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら

【歌意】どれ、この世をお暇しよう。私の命は線香と共に燃え尽き、最後は灰となってハイさようなら。

ユーモラスでいながら、一抹の憂いを含んだ、戯作者らしい辞世と言えるでしょうか。

戒名は心月院一九日光信士、墓所は浅草の東洋院(現在は東京都中央区勝どき四丁目へ移転)にあります。

翌天保3年(1832年)に遺族や門弟らが長命寺に記念碑を建立し、また顕光院(静岡県静岡市)にある重田一族の墓には一九の名が刻まれました。

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