日本のジャンヌ・ダルク!女傑・坂額御前と一族ゆかりの”釈迦の左眼”が宝物、新潟県「乙宝寺」とは

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日本のジャンヌ・ダルク!女傑・坂額御前と一族ゆかりの”釈迦の左眼”が宝物、新潟県「乙宝寺」とは

今年、新潟県胎内市に旅行に出かけました。この街は以前紹介された、坂額御前の生まれた町でもあります。

仇討ちに決起した女武者「坂額御前」の武勇伝!鎌倉時代の建仁の乱で活躍(上)

『芳年武者无類 阪額女』月岡芳年作, 1885年(明治18年)Wikipediaより

稀代の女傑!坂額御前とは

坂額御前(はんがくごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、日本史上数少ない女武将の一人です。巴御前と並び「女傑」と称される存在で、『吾妻鏡』に記録があります。

中条駅前の坂額御前の銅像(筆者撮影)

前述したとおり現・胎内市、当時は越後国の豪族・城氏で城資国の娘として生まれました。城氏は平家方の一門で源平合戦ののち没落。しかし許されて、鎌倉幕府の御家人となり、越後で大きな勢力を維持していました。

しかしその後、城氏の恩人である梶原景時が鎌倉幕府に討たれると、兄・城長茂が鎌倉幕府打倒へ義挙します。

しかし失敗して長茂が討たれてしまうと、次は甥の資盛が越後で挙兵します(建仁の乱)。
坂額御前はその時、一将として鳥坂城に籠城し、幕府軍と戦いました。

『吾妻鏡』によると、彼女は童形に髪を結い、腹巻を着けて櫓に立ち、百発百中の弓術で敵を射抜いたと記録されています。矢に当たった者は必ず亡くなり、その武勇は父兄を超えると評されています。しかし、城氏は戦に負け滅亡、坂額御前は捕虜となってしまいます。

捕らえられた坂額御前は鎌倉に送られ、2代将軍・源頼家の前に引き出されますが、なんと、敵側である幕府方武将の心をわしづかみ。その毅然とした態度に惚れた、浅利義遠という武将が将軍に願い出て彼女を妻とします。

その後ふたりは浅利の出身・甲斐国(山梨県)に移住し、一男一女をもうけました。その後、坂額御前の生涯は不明ですが、山梨県笛吹市境川町には「板額塚」と呼ばれる墓所が残っています。

胎内市屈指の古刹、「乙宝寺」。なんと釈迦の左目が宝物?

さて、この越後の武将「城氏」とつながりが深いのが、同じ胎内市にある「乙宝寺」。なんとこの寺には「お釈迦様の左眼」があるのです。失礼ですが京都でも奈良でもなく、なぜ新潟に⁉と思いませんか。

乙宝寺

乙宝寺五重塔

乙宝寺大日堂

創建は奈良時代・天平8年(736年)。時の天皇、聖武天皇の勅願により、行基菩薩とインド僧・婆羅門僧正が北陸の安穏を祈って建立。震災の続いたこの土地の安寧を願ってのことでした。

婆羅門僧正が釈迦の左眼舎利を納めたことから「乙寺」と呼ばれ、右眼は中国の「甲寺」に納められたと伝わっています。

のち、後白河天皇が左眼の舎利を納める金塔を寄進した際に、「宝」を追加して「乙宝寺」と改称しました。

筆者も左眼を見学。写真撮影できないので文字で伝えるしかないのですが、大きなガラスケースの中に130センチほどの子供と同等の高さの金の塔があり、その中に更に小さな舎利があります。その舎利にガラスのようなものがはめこまれ、「眼」はその中にありました。

黒い淵と抜けるような透明感があったことはわかりましたが、はっきりとは見えませんでした。すーっと横一文字に線が見えるようでもあり、楕円形の水滴が中に入っているようにもみえました。

しかししばらく引き込まれるように眺めていました。不思議な吸引力があったことは確かです。ちなみに、お釈迦さまの目は青みを帯びた金色という伝説があります。

なぜ、都から遠い北陸の地へインドの高僧を呼んだのか。それはこの地が震災続きだったことに由来します。乙宝寺建立後も、たびたび震災に見舞われ、一度はその左眼も失ってしまいます。

貞観五年(863)・・・貞観の北陸の大地震。寺領崩壊。 寛治六年(1095)に越後で大災害があり、現在の中条付近が大きな被害をこうむる。 康和年間(1099~1104)・・・災害での被害の供養のため、潰されたお寺跡に乙寺が移される。 安元二年(1176)・・・宮禅師が災害でつぶされた寺跡から左眼仏舎利を掘り起こす。京へと持っていかれるが、治承元年(1177)に返還され、寄進を賜り再興される。

なんと、一度は埋まった左眼を掘り起こしたとされる「宮禅師」は、城氏の者です。「乙宝寺縁起絵巻」によると、安元2年(1176)に当時の越後守だった城助永の伯父・宮禅師の霊夢に御告げがあり、それに従い宝塔を掘り起こしたところ、仏舎利を発見したと記されています。

有名な観光地ではありませんが伝説に彩られた新潟・胎内市。日本海をのぞむ雄大な景色を眺めながら、渡来した釈迦の左目のロマンを感じてみてはいかがでしょうか。

参考:乙宝寺

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