なぜ静岡はお茶の名産地になったのか?――幕末〜明治、勝海舟と侍たちの“再出発”と挑戦 (1/3ページ)
今や“お茶といえば静岡”というほど全国的に知られていますが、最初から静岡が茶の国だったわけではありません。実はその背景には、明治維新の激動の時代を生きた一人の人物――勝海舟の存在がありました。
今回は「静岡県がお茶の名産地になった理由」についてご紹介します。
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敵がいてこそ仕事はできる!幕末〜明治時代を駆け抜けた勝海舟の痛快な格言 侍たちが立ち上がった明治初期江戸幕府が終わりを迎えた明治の初め、多くの武士たちは職と居場所を失いました。彼らの一部は徳川家ゆかりの地・静岡に移り住みますが、仕事も収入もなく、途方に暮れていたといいます。
そんな中、勝海舟は新しい時代を生きる道を示しました。「これからの時代は、刀ではなく鍬で生きるべきだ」と語り、静岡の牧之原台地を開拓し、茶の産地として発展させることを提案したのです。
勝はこの土地が日当たりや水はけに優れ、茶の栽培に最適であることを知っていました。
