次回『べらぼう』で平賀源内生存のウワサ作戦の舞台「曽我祭」とは?写楽×曽我祭=仇討ちなるか? (3/5ページ)
曽我物の題材となっている曽我兄弟の仇討ちとは、鎌倉時代初期の建久4年(1193年)5月28日に発生した仇討ち事件。実行したのはこちらの兄弟です。
兄:曽我十郎祐成(そが じゅうろう すけなり)承安2年(1172年)生~建久4年(1193年)5月28日没(享年22歳)
幼名は一万丸(いちまんまる)。5歳となった安元2年(1176年)に父・河津祐泰(かわづ すけやす)を工藤祐経(くどう すけつね)に殺されてしまいました。母が曽我祐信(すけのぶ)と再婚したため曽我姓を名乗り、弟と共に復讐を誓います。
建久4年(1193年)に鎌倉将軍・源頼朝らが富士の巻狩りへ訪れた際、仇敵の工藤祐経も同行している情報を得て仇討ちを決行。見事に祐経を討ち果たすも、仁田忠常(にった ただつね)に討ち取られてしまいました。
弟:曽我五郎時致(そが ごろう ときむね)承安4年(1174年)生~建久4年(1193年)5月29日没(享年20歳)
幼名は筥王(はこおう)。わずか3歳で父を殺され、兄と共に復讐を誓いました。
