この男こそ戦国最強サバイバー!追放と復帰を繰り返し美濃を揺らした武将・土岐頼芸の生涯 (3/4ページ)
その筆致は鋭さと気品を併せ持ち、後世には「土岐の鷹」と称されました。
戦国という荒んだ時代にあっても、心のどこかに静かな翼を抱いていたような頼芸の姿。
その美意識は、単なる武将像を越え、ひとりの人間としての魅力を強く感じさせます。
道三との断絶が運命を大きく変える
頼芸の人生を揺るがしたのは、家臣からのし上がってきた斎藤道三の存在でした。当初は頼芸がその才覚を見込み、守護代一門の名跡を継がせるほど信頼していましたが、やがて道三は美濃の実権を握り、頼芸は名目だけの守護へ押しやられていきます。
美濃国内の対立が激化する中、頼芸と道三の溝は深まり、ついに大桑城攻めをきっかけに頼芸は美濃を追われました。道三が権力の表舞台へ進む一方で、名門・土岐氏の威光は急速に薄れていきました。
※参考記事:
斎藤道三は油売りにあらず!?実は親子二代で成し遂げられた「国盗り」の真実【前編】 追放と漂泊の果てに頼芸は美濃を追われたのち、尾張の織田信秀を頼りました。一時は信秀の支援で美濃への復帰を狙ったとも伝わりますが、大きな成果にはつながらず、周辺諸国へ頼りながらの漂泊を続けたと考えられています。
その後、美濃には斎藤氏の後を継いで織田信長が入り、土岐氏が守護として持っていた地位は完全に過去のものとなりました。頼芸はそれでも、「美濃守護」としての名目や土岐氏の当主としての誇りを捨てずに生き続けました。
視力を失っても揺るがない気品晩年の頼芸は出家し「宗芸」と号したと伝えられています。
