【豊臣兄弟!】に登場か?キャストは?豊臣秀長を支えるも非業の最期を遂げた武将・羽田正親の生涯 (2/3ページ)
出自や若い頃の動向は定かでないものの、天正11年(1583年)に起こった賤ヶ岳の合戦時点では、秀長の部将として桑山重晴(くわやま しげはる)・浅野長政(あさの ながまさ)らと共に賤ヶ岳砦の守備を担当しました。
……賤ヶ嶽ノ城ハ、桑山修理亮、羽田長門守、浅野弥兵衛三人ヲ籠メ置カレ……
※『余吾庄合戦覚書』より。
重要拠点を任されていることから推測するに、正親は秀吉が近江長浜を治めるようになった天正元年(1573年)ごろから秀長に仕え、信頼と実績を重ねていたのでしょう。
天正13年(1585年)に秀長が紀伊国(和歌山県)を与えられると、正親は普請奉行の一人として藤堂高虎(とうどう たかとら)や横浜一庵(よこはま いちあん)らと共に和歌山城の築城を担当します。
同年に秀長が大和国(奈良県)を加増され、大和郡山城へ入ると、正親は大和国添下郡の小泉城(大和郡山市)と4万8千石の所領を与えられたのでした。
加えて正親は従五位下・長門守に叙され、天正16年(1588年)には宇陀松山城(宇陀市)へ移ります。
秀長の死後、秀次事件に連座
天正19年(1591年)1月22日に秀長が没すると養子となっていた豊臣秀保(ひでやす。秀長の甥)に仕え、その秀保が文禄4年(1595年)4月16日に没すると、豊臣秀次(ひでつぐ。秀保の兄)に仕えました。