大奥、崩壊寸前…女中たちが通い詰めたイケメン僧侶・日潤——禁断スキャンダルの末の破滅的な結末
江戸時代の大奥女中に関係するスキャンダルは数多く存在しますが、今回はその中でも「本当にこんなゲスい話あったんだ・・・」と驚くような事件をご紹介します。
イケメン僧侶が大奥女中をオトしまくって出世をもくろんだ、世にいう「延命院事件」です。
この事件が起きたのは、江戸時代の中でも最も天下太平を極めた11代将軍家斉の治世、享保の初めの頃の事でした。ちょうど大河ドラマ「べらぼう」で描かれている時代ですね。
延命院日当話 月岡芳年画
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千代田之大奥 歌合 橋本(楊洲)周延画 Wikipedia「大奥」より
その噂が噂を呼び、大名家の娘さんや御三家の娘さんまで彼の話を聞きつけて延命院に通うように。更には江戸城内の女の園、大奥にも話は及び、男に飢えまくっている奥女中たちは外に出る機会を得ては喜んで延命院に通うようになりました。
あまりの人気に、日潤が野心を抱くさて、そこまでもてはやされるようになると、さすがに日潤本人も気が付きます。「あれ、俺、すげえ身分の高い女にモテてんじゃね?」と。
はじめは真面目に説法していた日潤も、信者の女性たちがどんな目で自分を見ているかという事に気が付いたのです。
熱心な信者の中には大名や御三家の娘、江戸幕府に対して大きな影響力を持っている大奥の女中たちもいる。あまりにもVIPすぎる信者の層を見て、彼はこう考えました。
「この女たちをうまく利用すれば、金はもちろん、延命院の地位を高めて大きな力を手に入れる事ができるかもしれない」。
裏・日潤始動!彼はそれからというもの、奥女中や良家の娘さんのような女性信者たちと個人的にアポを取るようになり、表向きはありがたい説法や祈祷をし、その後、彼女たちを本堂の中の部屋へと導き入れるようになりました。
何をしていたかというと、もちろんその部屋に用意されていた1組の布団であんなことやこんなことをしていたのです……。
男性と触れ合う機会などない身分の高いお嬢様や奥女中たちはもうメロメロです。特に常に男性飢餓状態の大奥では、この延命院の秘密の日潤サロンの噂が爆発的に広まったのです。
お寺が夜のお店状態!?江戸後期、あまりにイケメンなため女性信者に爆発的人気を誇った日暮里の延命院の僧侶・日潤。彼はその人気に乗じて、大名家の娘や奥女中などの身分の高く権力を持つ女性信者に裏で性的サービスを施し、心酔する彼女たちの力を利用して寺の出世と金儲けを目論みました。
やがて大奥中に日潤の裏サービスの噂は広まり、奥女中たちは外出休暇が取れた時には集団で延命院に通ってくるようになりました。集団が訪れてサービスが日潤1人で回しきれなくなると、彼は寺の若い坊主たちにまで奥女中たちの相手をさせるようになりました。寺全体がなぜか夜のお店のような状態になってしまったのです。
寺社奉行、動く!寺に通う奥女中が増えれば増えるほど、日潤の怪しい活動は隠すことが難しくなり、やがてついに寺社奉行の脇坂安董(わきさかやすただ)に「延命院が怪しい」と嗅ぎ付けられました。しかし、身分が高い奥女中が関係する事なので簡単には運ばず、このスキャンダルを暴くには相当用意周到にしなければなりませんでした。
そこではっきりと証拠をつかむために、脇坂は女密偵を奥女中の付き人に紛れ込ませて延命院に送り込みました。その結果、本堂の内部にある特別サービスが行われていた隠し部屋が発見され、享和3(1803)年5月26日、脇坂自らが延命院に踏み込んで日潤や加担していた若い坊主たちを一斉検挙。ついに日潤の悪行は暴かれたのでした。
日潤、あえなくお縄にお縄にかかった日潤は、その約2か月後の7月29日に処刑されました。現代からするとかなり厳しい処分に思えますが、当時はそれほど僧侶の女犯は重い罪だったのです。
日潤は元々は顔だけでなく説法も上手い善良な僧侶だったのに、ねじ曲がった野望を抱いたがために身を滅ぼしたのでした。ちなみにこの事件は後に河竹黙阿弥によって「日月星享和政談(じつげつせいきょうわせいだん)」という歌舞伎にもなりました。
日潤自身も、生まれは有名な歌舞伎役者の隠し子という説もあり、出家する前は歌舞伎役者のたまごとして修業していたとも伝わってます。
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