朝ドラ「ばけばけ」“ヲトキさん”と実際に結婚!?松江中の生徒 小谷春夫のモデル、藤崎八三郎の生涯 (2/4ページ)

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八三郎が最初に名乗っていたのは小豆沢という名字でした。

松江で小豆沢といえば、最初に思い浮かぶのが江戸時代には松江藩の御用商人を務めていたほどの富裕な商家です。同家は松江の末次苧町で金融業を営み、大変な隆盛ぶりで知られていました。

当時の松江尋常中学校に入学できる生徒は、富裕な家や優れた学識を兼ね備えた人物がほとんどです。

八三郎が小豆沢家と関係があった可能性は非常に高いと思われます。

明治23(1890)年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が来日。松江の島根県尋常中学校の英語講師として赴任します。

当時の八三郎の年齢は推定で14歳前後。修学年齢であると仮定すると、ここで出会っていたようです。

八雲は自身の随筆「英語教師の日記から」で、八三郎について触れていました。

曰く彼を「今後わたくしの記憶に最も長く明白に残るだろうと思う」と言及。非常に親しい関係を築いていたことがわかります。

小泉八雲。八三郎は生涯の師として、その人柄を敬慕した。

八雲は1年3ヶ月の松江滞在ののち、今度は熊本県に赴任。その後も八三郎と文通は続いてゆきました。

八三郎は、特に八雲の執筆資料の収集や提供において奔走。その後発表される『家庭の祭壇』や『英語教師の日記から』につながることとなりました。

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やがて八三郎に進路の選択の時が訪れます。

明治27(1894)年12月、八三郎は志願兵として入営。

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