山形県のお正月を彩る伝統和菓子「初飴(はつあめ)」とは?あの戦国武将との深い関係も
最上義光と「初市」
山形県には初飴(はつあめ)という郷土菓子があります。今回はこの由来について解説します。
山形市観光協会 公式ウェブサイトより
山形県山形市の冬の風物詩として知られる初市。1月10日に、市内の七日町大通りに縁起物を販売する露店が立ち並ぶイベントで、例年、山形市内外から二十万人以上もの人々が訪れます。
露店には、商業の株が上がることを願うカブや、長生きを象徴する白ひげといった縁起の良い野菜が並びます。
ほかにも、色とりどりの団子をミズキの枝に刺しただんご木、まな板や臼などの木工品、そして新鮮な野菜や穀物が所狭しと並べられます。
この初市の歴史は古く、江戸時代の初期にあたる1546年から1614年の間に始まったとされています。実に四百年もの長きにわたり、市民に愛され続けてきた伝統行事なのです。
もともと山形には、定期的に市が立つ市日町という場所がありました。
毎年1月10日に市神祭りとして、十日町から七日町にかけて多くの露店が立ち並ぶようになったのが、この初市の起源とされています。
この賑やかな市を始めたのは、山形城の城主であった最上義光公だと言われています。
義光公はただの武将ではありません。山形城の大改修を行い、城下町を整備し、商工業や交易を盛んにし、さらには最上川の交通網を整え、庄内平野の開発まで進めた人物です。
現在の山形市の基盤を築き上げた、まさに郷土の英雄と呼べる存在でしょう。
市の神様最上義光は慶長五年、西暦1600年の長谷堂合戦では徳川方につき、あの上杉景勝の重臣である直江兼続の軍勢と激しく戦いました。
その功績によって57万石、実質的には百万石とも言われる広大な領地を持つことになり、全国でも第五位の大大名へと上り詰めました。
武勇に優れていただけでなく、義光公は文化的な才能も豊かでした。特に連歌の才能は素晴らしく、戦国大名の中でも随一と評されていたほどです。
そんな文武両道の指導者のもとで育まれた初市は、江戸時代から現代に至るまで、その熱気を失うことなく続いてきました。
さて、この初市で忘れてはならないのが福を呼ぶ縁起物である切飴・初飴の存在です。山形の初市と初飴は、切っても切り離せない深い関係にあります。
初飴の起源は、特産品である紅花の豊作と商売繫盛を祈ることにありました。
かつては紅白の飴を半紙に十五、六個ほど盛り付け、それを紅花を筵に広げて干す様子に見立てて、市の神様に供えたのが始まりだとされています。
当時は盛飴や旗飴とも呼ばれ、紙に盛った飴に竹の棒を付け、持ち歩けるような形のものもありました。それが時代とともに変化し、現在のようなと形で親しまれるようになったのです。
伝統と革新的フレーバー山形県内では、毎年十二月の下旬になるとスーパーマーケットの店頭にも初飴が並び始めます。正月の欠かせない風景として完全に定着しています。
特に初市の会場で販売される飴は格別で、「初飴といえば初市で買うもの」というこだわりを持つ人も少なくありません。
この初飴文化は、他県には見られない山形独特のものです。
紅花という特産品への祈りから始まり、現在は無病息災、商売繁盛、家内安全を願う縁起物として、その役割を変えながら受け継がれてきました。
とはいえ、伝統を守りつつも、新しい風を取り入れているのが現在の初飴の面白いところです。
例えば初飴の製造販売で有名な大山製菓の初飴を見てみると、その種類の豊富さに驚かされます。
抹茶やごま、紅白、あんこ、きなこといった定番の味はもちろんですが、バナナやいちごミルク味といった子供が喜びそうなものまで揃っています。
さらにユニークなのが、初市限定のフレーバーです。
抹茶ミルクやブルーベリーヨーグルト、梅干し味、そしてなんと激辛のハバネロ味まであるというのですから、もはや単なる伝統菓子の枠を超えています。
これだけ多様な味が楽しめるのも、長い歴史の中で人々の好みに合わせて工夫を重ねてきた結果なのでしょう。
参考資料:
日本遺産「山寺と紅花」
VISIT YAMAGATA
山形観光 見聞録
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan