【豊臣兄弟!】で織田信長(小栗旬)を刺客から守った丹羽兵蔵とは?史料『信長公記』に当時の記録が! (2/5ページ)

Japaaan

上洛の途上にて

渡し舟(イメージ)

丹羽兵蔵は生没年不詳、尾張国清須の那古野勝泰(なごや かつやす。弥五郎)に仕えていました。

永禄2年(1559年)2月、兵蔵は上洛した信長に合流する際、志那の渡し(滋賀県草津市)で30人ほどの一団と同船します。

一団の発するただならぬ気配を感じ取り、兵蔵は彼らを警戒。やがて船中で一団の一人から生国を訊ねられた兵蔵は、 とっさの機転で三河者だと答えました。

正直に尾張者だと答えたら「織田家の者か?」と警戒されるかも知れないと考えたのです。

隣国の三河であれば、言葉も似通っているため、生国を偽ってもバレなかったことでしょう。兵蔵は彼らに探りを入れるため、話を振りました。

「ところで、わしは尾張国を通って来たんじゃが、織田様はおっかないそうじゃのう。領民が皆怯えておったわい」

あえて信長を悪く言って、同調すれば敵意を持っているはず。果たして彼らは口々に答えます。

「いかにも。じゃが安心せえ。あやつはじきに居らんようになるわい」

これを聞いて「よもや」と感じた兵蔵は、彼らと意気投合したふりをして同行。同じ宿で隣の部屋に泊まりました。もちろん、彼らの真意を探るためです。

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