【豊臣兄弟!】で織田信長(小栗旬)を刺客から守った丹羽兵蔵とは?史料『信長公記』に当時の記録が!
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第1回放送「二匹の猿」では、上洛した織田信長(小栗旬)に刺客が差し向けられます。
しかし家臣の丹羽兵蔵(にわ ひょうぞう)がその動きを事前に察知し、みごと事無きを得ました。
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「豊臣兄弟!」小一郎はなぜ藤吉郎を恐れた?信長お忍び現場作業!テンポの良さに期待大の第1回を考察このエピソードは『信長公記』に伝えられていますが、丹羽兵蔵とは何者で、どのように刺客を察知したのでしょうか。
上洛の途上にて
丹羽兵蔵は生没年不詳、尾張国清須の那古野勝泰(なごや かつやす。弥五郎)に仕えていました。
永禄2年(1559年)2月、兵蔵は上洛した信長に合流する際、志那の渡し(滋賀県草津市)で30人ほどの一団と同船します。
一団の発するただならぬ気配を感じ取り、兵蔵は彼らを警戒。やがて船中で一団の一人から生国を訊ねられた兵蔵は、 とっさの機転で三河者だと答えました。
正直に尾張者だと答えたら「織田家の者か?」と警戒されるかも知れないと考えたのです。
隣国の三河であれば、言葉も似通っているため、生国を偽ってもバレなかったことでしょう。兵蔵は彼らに探りを入れるため、話を振りました。
「ところで、わしは尾張国を通って来たんじゃが、織田様はおっかないそうじゃのう。領民が皆怯えておったわい」
あえて信長を悪く言って、同調すれば敵意を持っているはず。果たして彼らは口々に答えます。
「いかにも。じゃが安心せえ。あやつはじきに居らんようになるわい」
これを聞いて「よもや」と感じた兵蔵は、彼らと意気投合したふりをして同行。同じ宿で隣の部屋に泊まりました。もちろん、彼らの真意を探るためです。
刺客を一笑に付す信長
「……よいか。斎藤様のご命令どおり、京に着いたら信長めを……」
やはり彼らは美濃の斎藤義龍より命を受け、信長の暗殺を謀る刺客でした。
企みを知った兵蔵は京に着くと、刺客らの宿所を突き止めて信長に急報します。
「ようした兵蔵!」
信長は家臣の金森可重(かなもり よししげ)と蜂屋頼隆(はちや よりたか)らに命じて、何と刺客を迎えに行かせました。
「ようこそ参られた。殿がそなたらに会いたいとの仰せ。一度挨拶に参れ」
刺客たちの驚くまいことか……仕方ないので、翌日信長と対面します。
「わしを討つため、遠路ご苦労であった。そなたらの企みなど、蟷螂(とうろう。カマキリ)が斧に刃向かうようなものじゃ」
と、信長は刺客らを一笑に付すのでした。
果たして信長は刺客たちをどうしたのか、『信長公記』にはハッキリ書かれていません。皆殺しにしたのか、あるいは何か考えをもって解放したのか……どっちでしょうね。
終わりに
兵蔵の機転で難を逃れた信長。その後、兵蔵を重用したのだろうか(イメージ)
暗殺を未然に防いだ功績をもって兵蔵は恩賞を賜りますが、それ以降の様子はよくわかっていません。
また今回の暗殺未遂事件について、『織田軍記』では永禄4年(1561年)としています。
ただし『言継卿記』では永禄2年(1559年)2月に信長が第13代将軍・足利義輝に謁見している記録が残ることから、やはり上洛に伴う暗殺未遂事件は永禄2年(1559年)に発生したとみるのが自然でしょう。
果たして丹羽兵蔵に今後の出番はあるのか?注目したいと思います。
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志村有弘『信長戦記 信長公記の世界』教育社、1991年12月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


