五右衛門風呂はいつから?仕組み・歴史・名前の由来などをまとめて解説 (3/3ページ)
五右衛門風呂は、文学作品にも登場
十返舎一九の作品『東海道中膝栗毛』には、入浴の時は、浮いている底板を踏み沈めて入るという五右衛門風呂の仕組みを知らなかった弥次さん喜多さんが、下駄を履いたまま入り、釜を壊して大騒ぎになったという場面も書かれています。
五右衛門風呂の製造は主に西日本で先ほどもご紹介したとおり、五右衛門風呂の日本におけるルーツは周防の地。そのこともあり、五右衛門風呂の製造は主に西日本で行われていきました。江戸では、鉄・燃料・水の確保が難しかったことや、火事の危険もあり、あまり流行りませんでした。
そうして考えてみると、弥次さん喜多さんが五右衛門風呂の入り方を知らなかったのも、納得かもしれませんね。
江戸時代の終わりごろには、安芸(広島県)で主に製造されるようになりました。戦前では、安芸が約8割を占めていたといいます。
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