【豊臣兄弟!】何故、宮澤エマがともにキャスティングされたのか?阿波局との共通点から今後の展開を予想 (2/4ページ)
※本紹介には大河ドラマの創作が多分に混じっており、実在した阿波局とは分けて考える必要があります。
史実のとも(日秀尼)はどんな女性だった?
藤吉郎のホラ話に興味津々な妹あさひに対して、端から信じていないとも。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
天文3年(1534年)生~寛永2年(1625年)4月24日没
小一郎と藤吉郎そしてあさひ(旭姫)の姉で、弥助(後の三好吉房)と結婚して三人の息子(秀次・秀勝・秀保)を生み育てました。
弟たちの出世にともない、暮らしもよくなって行きます。しかし三人の息子たちは秀吉の後継者候補と注目されたことが仇となり、非業の末路をたどります。
まず次男の秀勝が朝鮮出兵に際して陣没。次いで三男の秀保は不審死。そして長男の秀次は謀叛の疑いをかけられて関白の座を追われ、切腹させられてしまいました。
こうした背景には秀吉の実子とされている鶴松の死や、拾丸(後の豊臣秀頼)が誕生したことと無関係ではなかったでしょう。
夫の吉房も連帯責任で讃岐国へ流罪となり、いよいよともまで罰せられそうになったものの、辛うじてお咎めなしだったそうです。