『豊臣兄弟!』での重要舞台・清洲城とは?桶狭間と清洲会議をつないだ“歴史の交差点”

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『豊臣兄弟!』での重要舞台・清洲城とは?桶狭間と清洲会議をつないだ“歴史の交差点”

日本には今でも多くの「お城」があり、歴史好きのなかでも特にお城が好きな方もいますよね。

今回の記事では、そんな数ある日本のお城のなかでも、日本史において非常に重要な出来事にかかわった「清洲城(きよすじょう)」についてご紹介したいと思います。

清洲城は、現在放送中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも重要な舞台の一つとなっていますが、どのような特徴を持ったお城で、どのような歴史を歩んできたのでしょうか?

清洲城とは?どこにある?

清洲城は、尾張国春日井郡清須(現愛知県清須市一場)にあったお城です。現在、もともとの城の大部分は消失していますが、本丸土塁の一部が残っています。

現在の天守閣は、平成元年に、清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設された鉄筋コンクリート造りの模擬天守です。

清洲城の建築から信長の本拠地となるまで

清洲城の建築は、尾張国の守護であった「斯波義重」(しばよししげ)によって、1405年に始まりました。内紛によって織田氏が入城すると、織田信秀、織田信友などが居住地としました。

1555年、織田信長が叔父とともに謀って信友を殺害すると、信長は清洲城を本拠地としました。

桶狭間の戦いへの出陣も清洲城から

歴史の転換点でもある桶狭間の戦いも、織田信長は清洲城から出陣しています。

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信長は約10年ここを居城とし、1562年には信長と徳川家康の同盟(清洲同盟)もこの城で結ばれました。信長は、1563年に戦に備えて小牧山城に移りました。

本能寺の変後の「清洲会議」の舞台に

本能寺の変で信長が倒れると、その家督を相続するための話し合いが行われました。これが、世に言う「清洲会議」です。清洲城には、織田信雄(のぶかつ・のぶお)が入城することになりました。改修を経て、お城は最大規模に。

また、関ヶ原の戦いにおいては、東軍の最前線として重要な軍事拠点の役割を果たしました。徳川義直の時代の清洲城下は人口60,000人規模に。朝鮮通信使の記録にも「関東の巨鎮」と書かれ、天下の名城と称えられました。

その後、1607年に徳川義直が名古屋城を築くと、200年ほど続いた清洲城はその役割を終えました。

一部は名古屋城に転用

名古屋城築城において、清洲城の建材や石垣は解体されましたが、その一部が名古屋城に転用されています。名古屋城の「清洲櫓」は、清洲城の天守を移築したものと言われています。

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