【豊臣兄弟!】地味だが最強の名臣・丹羽長秀!織田信長が手放さなかった3つの理由 (2/3ページ)
なぜ“有能”と言われるのか?3分で分かる結論
①戦:重要局面で手堅く結果
②政:大プロジェクトを締切通りに回す
③人:派閥だらけの織田家で信頼を取る
信長は7年かけて美濃攻めを行いましたが、その間に丹羽長秀は大きく活躍。そのほか、有名な桶狭間の戦いにも参加し、彼が参加したことで他の兵士も高い士気で一生懸命に戦ったと信長から評価されています。
また、1567年に足利義昭を奉じた上洛作戦では、箕作城を一気に攻略しました。
② 国を動かす実務力:物流と安土城を回した武力に優れた武将は多くいますが、丹羽は行政面でも力を発揮しました。たとえば、琵琶湖を船で渡るために、大型船の造船に携わりました。
また、信長が力を入れた安土城築城においても、総普請奉行を任されています。前例のない築城でしたが、3年かからずに完成させたといいます。
③ 人望と教養:信長が信頼した理由丹羽長秀は、朝廷より惟住(これずみ)の姓を賜ったことから、惟住長秀という名前もあります。しかし、この申し出に対し、一度「拙者は、生涯、五郎左のままで結構」と断ったというエピソードが残っています。
また、血気盛んな織田家家臣団のなかで、茶器の良し悪しがわかるなど、教養を持ち合わせている存在でもありました。
信長から名品を集めてくるよう依頼されたこともありますし、信長が初めて茶器を贈った家臣も丹羽長秀でした。