日本酒の始まり、実は「米」じゃない――古代の日本人が愛した“縄文ワイン”を示す証拠

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日本酒の始まり、実は「米」じゃない――古代の日本人が愛した“縄文ワイン”を示す証拠

日本のお酒の始まりは、意外にも「米」ではありませんでした。

約5000年前の縄文時代中期、森の果実を発酵させた“果実酒”が、最初の主役だった可能性があります。

その手がかりが、青森県の「三内丸山遺跡」です。果実の種子が大量に出土し、潰して絞ったような“搾りかす”とみられる塊も見つかりました。さらに発酵した果物に集まるショウジョウバエのサナギが密集しており、そこに甘い香りの「縄文ワイン」が蓄えられていた情景まで想像されます。

本稿では、この縄文の果実酒から、穴あき土器の謎、弥生の口噛み酒、そして麹の導入による“日本酒の完成”までを、遺跡と土器の痕跡から順にたどります。

三内丸山遺跡

三内丸山遺跡が明かす「縄文の果実酒」の痕跡

縄文人が定住生活を送り、自然のサイクルを熟知していたことを示す決定的な証拠が、青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡から見つかっています。

遺跡内の水分を豊富に含んだ「低湿地」からは、エゾニワトコ、クワ、キイチゴ、サルナシといった果実の種子が驚くほど大量に出土しました。 ここは当時の「ゴミ捨て場」のような場所でしたが、酸素が遮断された泥の中に埋まったことで、数千年もの時を超えて奇跡的に腐らずに残っていたのです。

ニワトコの実 出典:Wikimedia Commons

見つかった種子は果肉が変質したような繊維質の塊とともに見つかっており、意図的に果実を潰して果汁を絞った「絞りかす」であると考えられています。

さらに種子とともに大量に発見されたのが「ショウジョウバエの仲間のサナギ」です。このハエは発酵した果物を好む性質があり、自然界でこれほどの密度で集まることは極めて稀です。
この場所には、ハエを惹きつけるほどの甘い香りを放つ発酵中の「縄文ワイン」が蓄えられていたのではないかー。そんな当時の情景が、小さなサナギの痕跡から想像されています。

不思議な土器は「発酵の壺」だった?

一方、山梨県や長野県を中心とした中部高地では、お酒造りに関わるとされる「有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)」が作られていました。

有孔鍔付土器 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

この土器の最大の特徴は、口のまわりに並んだ小さな穴です。内部からヤマブドウの種が見つかる例もあり、この穴は、発酵中に発生するガスを逃がすための仕組みだったのではないかと考えられています。

また、こうした土器の中には、立体的な「人の顔」や「蛇」が装飾されたものも見つかっています。装飾のないシンプルなタイプも存在しますが、装飾があるものは果汁がお酒へと変化する不思議なプロセスへの、人々の畏敬や祈りを表現したものなのかもしれません。

また面白いことに、この土器は口の部分に動物の皮を張り、祭りの場でお酒と共に打ち鳴らした「太鼓(楽器)」であったとする説もあり、その用途は今も謎に包まれています。

稲作がもたらした「お米の酒」への転換

時は流れ稲作が日本に定着すると、お酒の主役は果実から「お米」へとシフトします。ここから現代の日本酒へと続く新たな歴史が始まります。

当時はまだ高度な発酵技術はありませんでしたが、人々は自らの身体を使ってお米を糖化させる方法を見出していました。加熱した米を口で噛み、唾液の酵素を利用して発酵させる「口噛み酒(くちかみざけ)」という手法です。

このお米から造られるお酒は、果実酒以上に手間と時間を要する貴重なものでした。それゆえに、集落の豊作を願う場や、人々が絆を深める特別な場面で酌み交わされる、「ハレの日の特別な一杯」としての存在感を強めていったのかもしれません。

画期的な「麹(こうじ)」の導入と日本酒の完成

4世紀から7世紀頃になると、大陸から伝わった新たな知恵によって、お酒造りは劇的な進化を遂げることになります。その大きな鍵となったのが「麹(こうじ)」の導入です。穀物を効率よくお酒に変えるこの技術が広まったことで、それまでよりも安定して、かつ一度にたくさんのお酒を造ることが可能になりました。今の日本酒へと続く「伝統的な製法」の原型が、この時代に整ったのです。

また、この時期に須恵器(すえき)と呼ばれる、高温で焼かれた非常に硬い焼き物が登場したことも見逃せません。須恵器は液体が漏れにくいため、お酒を貯蔵したり熟成させたりするのに最適でした。

徳利(とっくり)の原形とされるものなど、「酒器」の種類が充実し始めたのもこの時代です。こうした技術と道具の進化が組み合わさることで、私たちが知る日本酒のカタチが少しずつ形作られていきました。

積み重なる「お酒」の歴史

5000年前の森で生まれた果実酒から、お米のお酒へ。

土器に残された小さな種子や不思議な装飾は、人々が自然の力を借りて暮らしを豊かに彩ってきたことを今に伝えてくれます。

私たちが今日何気なく酌み交わす一杯も、こうした数千年にわたる創意工夫の積み重ねの先にあるのです。

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