語源が切なすぎる…湯たんぽの漢字はなぜ「湯湯婆」と書く?由来と歴史をたどる
お湯を入れて暖をとる湯たんぽ。冬の風物詩として私たちの生活に溶け込んでいますが、皆さんは使っていますか?
この湯たんぽ、漢字では「湯湯婆」と書きます。なぜこのようになったのでしょうか。その由来を調べてみると、実に切ない情景が浮かんできました。
「お湯の妻」を抱きしめて暖をとる
湯たんぽの期限は中国大陸の唐王朝時代(7世紀初頭~10世紀初頭)と考えられており、元は「湯婆(タンポー)」や「湯婆子(タンポーズ)」などと呼ばれています。
湯は文字通りお湯のこと。婆は現代日本の私たちがイメージする老女ではなく、妻を意味する言葉です(現代中国語でも老婆で妻を指します)。また、ここでの子は単なる接尾語で、あってもなくても意味は変わりません。
つまり湯婆とは「お湯の妻」もっと直截に言えば「お湯を入れて妻代わりに暖をとるもの」という意味になります。
身体を温め合う家族がいない独り身の男性が、布団の中で背中を丸めながら湯たんぽを抱きしめる……そんな情景が目に浮かぶようで、切なさが止まりません。
室町時代から始まった日本の湯たんぽ史そんな湯たんぽが日本に伝来したのは室町時代。文献上の初出は文明16年(1484年)に出版された国語辞典『温故知新書』や、同年から始まる日記『蔗軒日録(しゃけんにちろく)』に記されています。
日本に現存する最古の湯たんぽは岐阜県多治見市で出土した「黄瀬戸織部流し湯婆(きぜとおりべながしたんぽ)」。詳細は不明ですが、緑色の釉薬に高価な銅が使われていることから、高貴な身分の人が用いたものでしょう。
また徳川家康が使用したという「桑木地葵紋散蒔絵湯婆(くわきじあおもんちらしまきえたんぽ)」も現存しています。こちらは桑材で脇息のような形状で、中は錫板を内張り、外には葵紋が散りばめられました。
更に時代は下って第五代将軍・徳川綱吉は犬型の湯たんぽを使っていたと言われ、こちらは日光山輪王寺に納められています。
犬公方・徳川綱吉はなんと「犬型湯たんぽ」愛用!?室町時代に伝来した湯たんぽの歴史
月岡芳年「徳川累代像顕」より、犬公方と呼ばれた五代将軍・徳川綱吉。愛用の湯たんぽも犬型だった。
江戸時代の湯たんぽは錆びにくい銅が使われており、高価だったためなかなか一般庶民が使えるものではありませんでした。
やがて明治時代に入ると西洋製の円筒形陶器湯たんぽが輸入され、明治20年(1887年)ごろには庶民の間にも普及していきます。
湯婆のままでは意味が通じにくかったことから、湯婆を「たんぽ」と一単語に見なし、頭に湯を加えた「湯たんぽ」という名称が一般的になりました。
大正時代(1912~1926年)には、現代でもよく見かける小判型湯たんぽ(楕円形で表面に波がついたトタン製)が登場します。
昭和初期の戦前から戦時中にかけて、金属不足で陶製湯たんぽに戻りますが、その合理性から敗戦後は再び小判型湯たんぽが一般的になっていきました。
湯たんぽ(湯湯婆)の歴史まとめ 起源は湯婆(タンポ)、意味は「お湯を入れて妻代わりに暖をとるもの」 日本に伝来したのは室町時代(15世紀ごろ) 一般庶民へは明治時代以降に普及 明治時代中期以降「湯湯婆(ゆたんぽ)」と呼ばれるように(日本語+中国語)今回は湯たんぽの漢字表記「湯湯婆」と、その歴史について紹介してきました。寂しい男性が「妻の代わり」に暖をとっていた歴史に思いを馳せ、寂しさを禁じ得ません。
もう少し心温まるネーミングはなかったものかと思ってしまうものの、あまりに寒すぎて、そんな余裕もなかったものと思われます。
最近では省エネ性やコスパの高さから湯たんぽが注目を集めており、寒い冬を乗り切るツールとして、これからも重宝されることでしょう。
※参考資料:
ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館ら「資料館通信 第71号」ふじみ野師、2017年4月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

