【豊臣兄弟!】ついに前田利家(大東駿介)が登場!信長激怒の大失態から転落〜復活までの軌跡 (3/6ページ)
現代に喩えれば、成人式で突飛なファッションを楽しむ荒ぶる新成人と言ったところでしょうか。
ただし決して見かけ倒しではなく、翌天文21年(1552年)には萱津の合戦(対 織田大和守信友)で初陣を飾り、首級一つを上げる武功を立てました。
そのため織田家中や領民たちは、後に「槍の又左(又左衛門)」などと二つ名で呼んだそうです。
弘治2年(1556年)に勃発した稲生の合戦(対 織田信勝)では、敵将の宮井恒忠(みやい つねただ。勘兵衛)によって左目の下を射られてしまいますが、怯むことなくこれを討ち取りました。
さらに永禄元年(1558年)に勃発した浮野の合戦(対 織田伊勢守信賢)でも武功を立てたため、信長直属の親衛隊である赤母衣衆(あかほろしゅう)の筆頭に抜擢されます。
またプライベートでも従妹にあたるまつ(菅井友香。芳春院)を正室に迎え、間もなく長女の幸姫(こう)を授かりました。現代で言うところの「授かり婚」だったのかも知れませんね。
笄斬り(出奔)から帰参するまで
桶狭間で勝手に武勲を立てる利家(前田犬千代)。月岡芳年 「桶狭間大合戦之図」より
かくして公私とも充実していた利家ですが、永禄2年(1559年)に人生の大きな転機を迎えます。