【豊臣兄弟!】ついに前田利家(大東駿介)が登場!信長激怒の大失態から転落〜復活までの軌跡 (4/6ページ)

Japaaan

利家は信長の寵愛を受けていた同朋衆の拾阿弥(じゅうあみ)を斬り殺し、織田家から出奔してしまいました。

拾阿弥が利家が大切にしていた笄(こうがい)を盗み、激昂した利家に殺されそうになりますが、信長や佐々成政(白洲迅)の仲裁によって一度は許されます。しかし拾阿弥は懲りるどころか調子に乗って利家を侮辱したため、堪忍袋の緒が切れてしまったのでした。

これが後世に伝わる「笄斬り」の顛末で、この笄はまつが実父の形見として持っていたのを、利家に贈ってくれた大切なものだったのです。

利家の激情と愛情がよくわかるエピソードですが、このために信長の怒りを買った利家は、出仕停止処分を受けてしまいました。

利家は柴田勝家(山口馬木也)や森可成(水橋研二)にとりなされ、成敗こそ免れたものの、浪人同然の暮らしを強いられることになります。

そして永禄3年(1560年)になっても赦免されることなく、いよいよ桶狭間の決戦が目前に迫っても、利家は出陣を許されません。

居ても立ってもいられなかった利家は「ままよ」とばかり無断で桶狭間に参戦します。そして合計三つの首級を上げる大武勲を立てましたが、それでも帰参は許されず、年が暮れていきました。

翌永禄4年(1561年)になってもまだ許されなかった利家は、美濃の斎藤竜興(濱田龍臣)との間に勃発した森部の合戦でも勝手に参戦します。ここで「頸取足立(くびとりあだち)」と異名をとった足立六兵衛(ろくべゑ)ともう一つの首級を上げる武功を立てました。

これでようやく信長に許された利家は、晴れて織田家に帰参したということです。

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