15歳ですでに離婚2回!なぜ『豊臣兄弟!』に信長の正室・濃姫(帰蝶)が登場しない?その理由とは (3/5ページ)
江戸時代の歴史書『美濃国諸旧記』では帰蝶(きちょう)と紹介されていますが、戦国女性の命名習慣に照らすと違和感が残ります。
また実家の鷺山城(岐阜県岐阜市)から嫁いできたことから、鷺山殿(さぎやまどの)とも呼ばれました。
ほか正室であることから北の方(きたのかた)、信長が安土城(滋賀県近江八幡市)を築き上げるまで存命だった説をとる文献では安土殿(あづちどの)とも呼ばれているそうです。
信長と結婚するまでに二人の夫へ嫁いでいましたが、いずれも父・道三の野心ゆえであり、それぞれ父に暗殺されてしまいました。
“美濃のマムシ”こと斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)が織田信長に嫁ぐまでの結婚歴を紹介一人目の夫:土岐頼香(とき よりたか)
天文13年(1544年)、合戦のどさくさに紛れて自刃に追い込まれる。濃姫10歳。
二人目の夫:土岐頼純(とき よりずみ)
天文16年(1547年)、結婚から約1年で急死。死因は不明(暗殺?)。濃姫13歳。
わずかな期間で二人も夫を亡くした濃姫は、心の傷が癒える間もなく、信長と三度目の政略結婚。まだ10代の若さでこんな扱いを受ければ、心身を病んでしまっても無理はないでしょう。
濃姫が早逝してしまった説が正しければ、こうした事情が影響しているのかも知れませんね。
