【豊臣兄弟!】藤吉郎、18歳で初陣・初首級!なのに今川義元は信じず…今川を捨てた本当の理由か? (2/4ページ)
この第三次河東一乱については否定的な見方が強いものの、もしこの合戦に藤吉郎(天文6・1537年生)が従軍していた場合、18歳で初陣を果たしたことになります。
木下高吉今川方松下嘉兵衛治の許に在て北条と合戦の時富士川に於て抜駈して敵将を討つ若年よりしてよく奇計を備ふ其器賞すべし
※歌川豊宣「新撰太閤記」より
【意訳】木下秀吉は今川の将・松下嘉兵衛治(かへゑじ)に従って出陣し、富士川で抜け駆けして敵将・伊東日向守を討ち取った。若いころから奇計を駆使する大器は、賞すべきであろう。
この「奇計」とは果たしてどんな策略だったのか、詳しいことは記されていません。武力では勝てない強敵を知恵で制し、見事その首級を上げたことでしょう。
手柄を「なかったこと」にされた藤吉郎かくして初陣で初めて首級を上げた藤吉郎。主君の松下加兵衛之綱も大いに賞賛してくれましたが、総大将たる今川義元(大鶴義丹)は藤吉郎を信じてくれません。
正真正銘、藤吉郎が獲った首級にも関わらず、何ゆえなのか……之綱の弁護もむなしく、藤吉郎に対する恩賞は何も与えられませんでした。
[画像] 藤吉郎が討ち取った伊東日向守の首級(右下):落合芳幾「太平記英勇傳 松下加兵衛之綱」より
かくして初手柄をなかったことにされてしまった藤吉郎は今川家を見限り、之綱に暇を乞います。日ごろから藤吉郎を評価していた之綱のことですから、藤吉郎が挙げた首級分の餞別を贈ったかも知れませんね。
藤吉郎を見送った之綱も「功ある者を正しく賞さない今川家に先はない」と憂えていたようで、桶狭間で義元が討死すると、今川家を去って牢人となります。
それから永い歳月を経て、藤吉郎改め羽柴秀吉が天下一統を果たすと、之綱は召し出されて石見守(いわみのかみ)となったのでした。