貧しかった我が家 母が残していった、たったひとつの気がかり(鹿児島県・70代男性) (1/2ページ)
幼いころに口にしたフルーツの味が、70歳を過ぎても記憶に残っている。
それは、貧しくとも「子どもたちのおやつに」と母が手に入れた種のおかげでした。
――鹿児島県在住の70代男性・Nさんからのおたよりを紹介する。

<Nさんからのおたより>
65年くらい昔、私が6歳頃の話です。
私の家はものすごく貧しく、当時44歳の母が、人からもらった雑誌の「あげます」コーナーで見た方にハガキを出して「時計草の種子」を送ってもらいました。
「実ったら子どもたちのおやつにでもなれば」との思いだったそうです。
96歳で亡くなるまで...母は貧乏と家事、農作業などの忙しさのせいで、結局お礼状を出すのがかなわなかったそうです。
96歳で亡くなるまで、そのことだけが気がかりだと言っておりました。

三男の私も、71歳になりました。お陰様で家業は順調です。
今さらながら天に向かって「ありがとうございました」と言わせていただきます。
あの時のパッションフルーツは、子どもには少し酸っぱかったです。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
Jタウンネットでは読者の皆さんの「『ありがとう』と伝えたいエピソード」「『ごめんなさい』を伝えたいエピソード」を募集している。