家臣と愛妾の密通を目撃!浮気現場を押さえた戦国大名・真田信之の智将ぶり冴え渡る冷徹な一手
自分のパートナーが、自分の部下と浮気している証拠を押さえてしまった……そんな時、皆さんならどうしますか?
見て見ぬふりをすればますます侮られ、さりとて厳しく咎め立てれば、パートナーも部下も失ってしまうリスクがあります。
自分の愛妾が、家臣と密通していた——その“決定的瞬間”を目撃した戦国大名・真田信之(さなだ のぶゆき)。彼が選んだのは、怒って斬るでも、問い詰めるでもなく 「あえて見逃す」 という一手。
なぜ、裏切りを受けてなお黙って通したのか?『真田家御事蹟稿』に残る、静かに怖いエピソードを見ていきましょう。
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不義密通を疑われ…彼女の腹から出てきたのはなんと!義時の姉妹・北条時子の悲劇 不倫したら男女とも死刑!日本における不倫の恐ろしすぎる歴史を紹介 家臣の浮気をあえて見逃す『真田家御事蹟稿』によると、ある夜、信之は近習(家来)を従えて愛妾が住む長局(ながつぼね)を訪ねたそうです。
久しぶりの逢瀬だが、彼女は快く迎え入れてくれるだろうか……すると長局から、一人の男が飛び出していきました。恐らく愛妾は間夫(まぶ。姦通相手)を引き入れていたのでしょう。
「何者だ、そこへ直れ!」
近習が咎めると、一瞬男の身体が硬直します。夜闇の中でも、信之は自分の家臣と判りました。すると信之は近習を制止し、男に去るよう促します。
「よい。ゆけ」
男は一礼したかしないか、一目散に逃げ出していきました。近習はこれを訝しみますが、信之は気にもとめません。
そして何食わぬ顔で長局へ入り、愛妾と楽しく過ごしたということです。この態度は、信之が家臣と事を荒立てたくない事なかれ主義だったからでしょうか。
納得できなかった近習は、後日信之に対して「なぜ愛妾と密通した家臣を追わせなかったのか」と尋ねました。
浮気するようなクソ女より……すると信之は「無用に候。大切の侍を屁ひり女に替可申(かえもうすべき)や」と答えたそうです。
いざ有事には生死を共にする大切な家臣を、屁ひり女(屁をひるクソ女。ここでは愛妾のこと)なんかのために斬る訳にはいかない……そう言い切りました。
もちろん長局に通うくらいだから、一定以上の愛情はあったのでしょう。しかし家臣と密通するようなクソ女だったと判れば、もはや惜しくはない。そんな意思も感じられます。
このやりとりは真田家中に広まり、家臣たちは浮気した者も含め「そこまで家臣を大切に思ってくれている殿のために、命を惜しまず奉公に励もう」と思ったはずです。
かくして真田信之はクソ女と引き換えに、ますますその名を高めたのでした。
ちなみにクソ女呼ばわりした愛妾を、信之がどのように扱ったのか、詳しいことはわかっていません。表面上は良好な関係を続けたのか、それともあっさり離縁したのか……。
真田信之とは何者?永禄9年(1566年)生~万治元年(1658年)10月17日没(享年93歳)
武田家臣・武藤喜兵衛(のち真田昌幸)の長男として誕生。幼少期は武田家の人質として過ごし、武田家の滅亡後は独立した父と共に豊臣秀吉へ仕えます。
正室には小松姫(本多忠勝の娘)を迎え、真田信政(のぶまさ)・真田信重(のぶしげ)・まん(高力忠房室)・まさ(佐久間勝宗室)の二男二女をもうけました。
やがて秀吉の死後に関ヶ原の合戦が勃発すると、父や弟の真田信繁(幸村)と決別して徳川家康に仕え、信州松代藩(長野県長野市)の初代藩主となります。
その後、松代藩は第10代真田幸民(ゆきもと)まで続き、明治維新を迎えたのでした。
終わりに今回は戦国大名・真田信之の浮気対策?について紹介してきました。
浮気事件を「愛妾よりも家臣を大事にする」ことをアピールするキッカケとして利用したのですが、相手(愛妾の魅力や、浮気した家臣が誰かなど)によっては態度が違ったのかも知れませんね。
取るに足りない家臣だったら斬り捨てたのか、よほど魅力的な愛妾だったら浮気を許さなかったのか……往々にして頭に血が上りそうなところ、瞬時に冷静な判断ができる智将だったと言えるでしょう。
ここまでの機転は利かないまでも、勘違いの可能性もありますから、少しでも落ち着いて対処したいところですね。
※参考文献:
氏家幹人『武士マニュアル』メディアファクトリー新書、2012年4月 黒田基樹『シリーズ・織豊大名の研究 第5巻 真田信之』戎光祥出版、2017年4月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan



