飴は日本最古の甘味料!『日本書紀』が語る神武天皇が作った「水無飴」と飴文化の歴史
飴玉は、現在ではお菓子の代表のように思われていますが、その歴史をたどると、もともとは日本最古の甘味料として使われていたことが分かります。
飴の原型は、米やイモなどの穀類に含まれるデンプンを糖化して作る水飴でした。
『日本書紀』にはすでに「水無飴」という記述があり、神武天皇が水飴を作ったという話まで残されています。つまり、八世紀には飴の原型が存在していたことになります。
『神武天皇東征之図』で八咫烏に導かれる神武天皇(Wikipediaより)
水飴は、麦芽に含まれる酵素がデンプンを糖に変えることで生まれます。古代の人々は、この反応を経験的に見つけ、甘味料として利用しました。
砂糖がまだ貴重だった時代、水飴は貴重な栄養源であり、調味料として欠かせない存在でした。平安時代の文献にも「あめ」が登場し、京の都では水飴を売る店があったと伝えられています。
この頃の飴は、あくまで料理に甘味をつけるためのもので、今のように舐めて楽しむお菓子ではありませんでした。
室町時代になると砂糖が輸入されますが、庶民にはまだ手が届かず、甘味といえば依然として水飴でした。
飴が本格的に“お菓子”として扱われるようになるのは、砂糖が少しずつ普及し始めた江戸時代に入ってからです。
江戸で花開いた飴文化江戸時代は、飴が一気に大衆化した時代でした。砂糖が高級品ながらも一般社会に広まり始め、飴は完全にお菓子としての地位を確立します。
飴売りという職業が登場し、奇抜な格好で歌いながら売り歩く飴売りは、子どもたちの人気者でした。
京都の菊一文字屋や大阪の平野あめなどの名店が生まれ、江戸に伝わると下りあめと呼ばれてブランド品として扱われます。
この頃には、飴の種類も急速に増えていきます。元禄から宝永期にかけては千歳飴、べっこう飴、黒砂糖飴などが登場し、縁日では細工飴が売られるようになりました。
飴細工は、晒し飴に空気を吹き込み、動物や花の形に作り上げる技法で、紙芝居の客寄せが起源とされる説もあります。現代でも大道芸として親しまれているのは、皆さんご存じの通りです。
飴の魅力は、加工の自由度が高いことにあります。飴は一度液状にしてから固めるため、形も色も自在に変えることができるのです。
金太郎飴のように断面に絵柄を仕込むものや、りんご飴のように他の食品を包むものなど、飴は地域ごとに独自の発展を遂げました。
歴史が古いほど、派生形が多くなるのは自然なことです。
キャンディーへの進化明治時代に入ると、飴文化はさらに大きな転換を迎えます。欧米から製法が伝わったことで、飴は一気に近代的なキャンディーへと姿を変えました。
機械化が進み、均一な品質の飴が大量に作られるようになり、現代の飴玉の原型がここで完成します。
のど飴、ミルクキャンディー、金平糖、塩飴など、現代の私たちがお店で日常的に目にする飴の多くは、この時代以降に生まれたものです。
飴の味や風味は、原料や加工方法によって大きく変わります。甘味を強くしたもの、クリーミーなもの、塩味を加えて甘味を引き立てるものなど、飴は地域性と創意工夫がそのまま形になる食品です。
共通点としては、甘味が中心で、口に含みやすい小さな形が多いことでしょうか。
現代の飴は、単なるお菓子にとどまりません。健康志向の高まりから、ハーブを使ったのど飴や、砂糖を控えた飴が登場し、さらに果物や野菜を使った新しいタイプの飴も増えています。
飴は和菓子にも洋菓子にも応用できる柔軟な素材であり、まさに古くて新しい甘味と言えるでしょう。
画像:Wikipedia,photoAC
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