『豊臣兄弟!』帰る場所でいてくれ!小一郎の抱擁に視聴者もらい泣き…第7回放送 直の真意など考察

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『豊臣兄弟!』帰る場所でいてくれ!小一郎の抱擁に視聴者もらい泣き…第7回放送 直の真意など考察

藤吉郎秀吉(池松壮亮)と寧々(浜辺美波)が祝言を挙げようという場で、直(白石聖)切り出された別れ話に小一郎長秀(仲野太賀)は困惑します。

美濃攻めの最前線拠点として、墨俣に砦を築く難任務を請け負った豊臣兄弟。しかし直と喧嘩したことで頭がいっぱいになってしまった小一郎は、キーパーソンである蜂須賀正勝(高橋努)の不興を買ってしまいました。

秀吉に殴られて帰宅した小一郎は、直の病にうろたえるばかり。自分に出来ることは、ただ相手を信じて祈るだけ……立場が逆転したことで、小一郎はなぜ直が自分と別れようとしたのか、その気持ちを理解できたようです。

一方の秀吉は正勝の説得に成功。義兄弟であった前野長康(渋谷謙人)と復縁し、一世一代の難任務に挑むこととなったのでした。

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」今週も気になるトピックを振り返って参りましょう。

小一郎改め木下長秀

藤吉郎秀吉と小一郎長秀。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

冒頭でメタ解説があった小一郎の改名事情について、ざっくりまとめておきたいと思います。

実は織田信長(小栗旬)に仕官した時点で木下小一郎長秀と名乗っていた小一郎。名前の由来は諸説ありますが、最も有力視されているのは信「長」+「秀」吉というものです。

以前の作品だと丹羽長秀(池田鉄洋)からそっくり名前を賜わったけれど、そのままでは畏れ多いのでひっくり返して秀長にした……という説もありました。

当時はそういうものかと納得していたものの、改めて考えれば長秀をひっくり返す(倒す)というのは縁起が悪そうで、失礼に当たるのではないでしょうか。

ともあれ木下小一郎長秀として活躍しますが、後に信長が亡くなって兄・秀吉が実質的な後継者となると、ひっくり返して秀長としました。

実は既に存在していた墨俣の砦

秀吉が永禄9年(1566年)に築いたとされる墨俣城(岐阜県大垣市)。しかしこれは『甫庵太閤記』や『絵本太閤記』などを組み合わせて生まれた秀吉伝説の一つで、リアルタイムな太田牛一『信長公記』によると、信長は既に築かれていた砦(洲股要害)の修築を秀吉に命じたとしています。

それが時代と共に脚色され、奇想天外な一夜城伝説が生まれたのでした。物語としては痛快ながら、史実とは分けて楽しむのがよいでしょう。

劇中では寧々と母なか(坂井真紀)の嫁姑バトル?をキッカケとして、木曽川の上流で下ごしらえした材木を流し、下流で一気に組み上げる奇策をひらめいたのでした。

フィクションだった一夜城!秀吉が築く前から墨俣には城が存在していた『豊臣兄弟!』

正勝が率いた川並衆とは?

蜂須賀正勝と前野長康。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

劇中において「カネ次第でどんな仕事も引き受ける無法者集団」のように描かれていた川並衆とは、木曽川流域(川並)に割拠していた国人衆を指します。

ただし川並衆という言葉は『武功夜話』にしか存在せず、また当書の真偽についても論争があるため、当人たちがそう呼んで・呼ばれていたかは定かでありません。

また『太閤記』などで無法者のように脚色されてしまったことから、蜂須賀家の子孫たちは負のイメージに永く苦悩させられたと言います。

本作ではこの無法者イメージが踏襲されていますが、今後どのような活躍が描かれるのでしょうか。

【豊臣兄弟!】後に藤吉郎(秀吉)を支える義兄弟──前野長康と蜂須賀正勝、明暗別れたそれぞれの末路

別れ話を切り出した直の真意は

帰り支度を始める直に動揺する小一郎。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

「まぁ仲のよいこと……いっそアンタら(藤吉郎と小一郎)が夫婦になればいいのに」

藤吉郎と寧々の痴話げんかを仲裁する芝居かと思いきや、実は本気だった直。少なからぬ視聴者が予感していたことと思います。

前回の「私と藤吉郎さんのどっちが大事なの」発言から、直の気持ちはくすぶり続けていました。否、三人で故郷の清州を飛び出した時からずっとです。

そりゃ伴侶(候補)として自分を大切に思ってくれてはいるのだろうけど、やはり今は藤吉郎≒仕事の方が優先で、自分の存在が小一郎の足手まといになってしまう。胸中そんな思いが渦巻いていたのではないでしょうか。

確かに小一郎は自分の夫ではあるけど働き盛り、武士としてはまだまだ駆け出しですから、家庭を顧みる余裕などありません。

やがて自分の存在が小一郎にとって重荷となり、いつか嫌われてしまうくらいなら……そう思い詰めた直は、別れ話を切り出したのでした。

ようやく解った直の気持ち

自分が直を大切に思っているのと同じく、直もまたずっと「帰る場所」でいてくれる。そんな安心感から、小一郎は図らずも直をぞんざいに扱ってしまったようです。

思わぬ病に倒れてしまった直を前に、何もできずただ回復を信じて祈るしかできない。そんな現実を前に、小一郎は打ちのめされたことでしょう。

しかし考えてみれば、この思いは常に小一郎を見送る直が抱え続けてきたものでした。

一度戦場へ出てしまえば、ひたすら無事を願って祈るしかできない。そのジレンマを我が身に痛感することで、ようやく直の気持ちを理解できたようです。

「何があっても必ず生きて帰る。だから、わしの帰る場所でいてくれ」

雨降って地固まるとはまさにこのこと……ですが、今後の悲劇を思うと素直に喜べませんね。

『豊臣兄弟!』小一郎と直(白石聖)はその後どうなる?史実ベースで悲劇的末路や二人の子供を考察

稲田植元(沼口拓樹)は実在人物?

稲田植元(画像:Wikipedia)

天文14年(1545年)生~寛永5年(1628年)8月18日没

正勝の子分として登場した稲田植元(沼口拓樹)。劇中では血気盛んな若い衆キャラでしたね。

そんな稲田植元(いなだ たねもと)は天文14年(1545年)に織田伊勢守家臣であった稲田貞祐(さだすけ。大炊助)の子として生まれました。

天文22年(1553年)に父が信長との内通容疑で切腹に追い込まれると、蜂須賀正勝の元へ預けられ、義兄弟の契りを結びます。

後に正勝ともども秀吉の家臣となり、それぞれ城持ち大名に任じられました。しかし植元は「義兄弟と離れる訳にはいかない」とこれを辞退。このことから、利益よりも義理を重んじる性格であったようです。

後に正勝の嫡男・蜂須賀家政が秀吉から阿波一国を賜わると、正勝からの頼みで家政の家老となったのでした。

今後も川並衆の一人として活躍が期待されるので、楽しみにしています。

寧々の妹やや(増井湖々)とはどんな女性?

やや改め長生院(画像:Wikipedia)

弘治3年(1557年)生~元和2年(1616年)2月22日没

祝言の席で初登場した妹やや(増井湖々)。実姉妹か否かは諸説あるようで、漢字では良々や祢々などと書きました。

寧々と共に浅野家の養女となり、後に浅野長政(大地伸永)の正室として三男三女をもうけます。

本作期間中(小一郎の生前)はこれと言ったエピソードがないため、登場場面は創作が多くなることでしょう。果たしてどんなキャラクターになるのか、今後も楽しみにしています。

第8回放送「墨俣一夜城」

「軍神」蜂須賀正勝率いる川並衆を味方に引き入れた秀吉は、いよいよ伝説の墨俣一夜城作戦に乗り出しました。

ようやく結婚を決意した小一郎と直、そして竹中半兵衛(菅田将暉)も初登場で、目まぐるしい展開が予想されます。BGM的には箸休め回となるのでしょうか。

これまで多くの作品で描かれてきた「墨俣一夜城」が、本作ではどのようにアレンジされるのか、次週も楽しみですね!

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