『豊臣兄弟!』史実だった安土城ライトアップ!織田信長の “戦国最強エンタメ王” 伝説
大河ドラマ『豊臣兄弟!』。やはりというべきか、小栗旬さん演じる織田信長が、強烈な存在感を放っていますね。
『どうする家康』で岡田准一さんが演じた、周囲を圧倒する“恐怖そのもの”のような信長像と比べると、今回の信長は怖さの中にもどこか人間味がにじむ、と評判です。
史実の信長もまた、実に多面的な人物でした。それこそが、人間・織田信長の大きな魅力と言えるでしょう。
ただ一つ、ほぼ間違いなく言えることがあります。それは、信長が生涯を通じて「派手好き」だったということです。そしてもう一つ。実はかなりの「エンタメ好き」でもありました。
この二つの個性を、豊臣秀吉(演:池松壮亮)はちゃっかり受け継いでいきます。
秀吉についてはまた改めて触れるとして、今回は信長のちょっと驚くような「派手好き」「エンタメ好き」エピソードをご紹介していきましょう。
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若き日の信長は、流行の最先端を走るファッションリーダー
応仁の乱以降、およそ150年続いた戦国の世。その終焉へと道を切り開いたのは、織田信長と豊臣秀吉の二人だったと言ってよいでしょう。
尾張半国の戦国大名から出発した信長は、やがて畿内を中心に巨大な勢力を築き上げます。しかし1582年、本能寺の変で明智光秀に討たれ、志半ばで倒れました。その後継争いを制したのが秀吉です。
江戸時代の川柳に、こんな一句があります。
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食うは徳川」
信長が土台を築き、秀吉が形を整え、最後に徳川家康が手に入れたという、少し皮肉まじりの見方です。
とはいえ、光秀を討ち、柴田勝家(演:山口馬木也)を滅ぼし、徳川家康(演:松下洸平)を屈服させるまでの秀吉の道のりは、決して楽なものではありませんでした。弟・秀長(演:仲野太賀)の支えもあってこそですが、その苦労は相当なものだったはずです。
それでもなお、「天下取りは信長あってこそ」と見る向きは多く、秀吉の胸の内には複雑な思いもあったのかもしれません。後年、織田家にやや冷淡な態度をとるのも、そんな背景があったと考えることもできそうです。
しかし、そんな秀吉も信長の「派手好き」「エンタメ好き」だけは、しっかりと継承しました。
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紅や萌葱色の糸で結った茶筅髷、片袖をわざと脱いだ着物、腰には朱塗りの大刀。火打袋や瓢箪をぶら下げ、餅や果物をかじりながら小姓たちを従えて城下を歩く姿は、当時の常識からすれば相当なインパクトだったでしょう。
斎藤道三(演:麿赤兒)の娘・濃姫(帰蝶)との婚姻が成立した際、最初は奇抜な姿で現れながら、道三との対面の場ではきちんと正装に改めたという逸話も有名です。
つまり信長は、「奇抜なだけの若者」ではなかったのです。見せ方を心得た、計算された演出だったとも考えられます。
さしずめ現代にたとえるなら、最先端のストリートファッションを着こなすカリスマ的ファッションリーダー、といったところでしょうか。
政治と軍事の中枢・安土城をライトアップ信長の「派手好き」「エンタメ好き」を物語る逸話は、ほかにもあります。
よく知られているのが、安土城下での相撲大会です。大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも御前試合の場面が描かれましたね。武芸奨励という意味では、戦国大名として自然な催しとも言えます。
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しかし、信長はそれをはるかに超える“イベント”を仕掛けました。それが、安土城のライトアップです。
1581年(天正9年)7月、安土に滞在していた宣教師の帰国を見送るため、城下の灯りをすべて消させ、提灯の明かりで安土城だけを浮かび上がらせたといいます。
琵琶湖の水面に映る光の城……。
さぞ幻想的な光景だったことでしょう。多くの見物人が集まり、その光のショーを楽しんだと伝えられています。
そして信長にとってまさに晩年となる、翌1582年(天正10年)の正月には、安土を訪れる人々に「大名・小名を問わず、百文を持参せよ」と通達を出します。いわば“見物料”です。
そして信長自らが城内で待ち構え、直接それを受け取ったといいます。豪華絢爛な安土城に人々が驚き、感嘆する様子を目の当たりにして、信長は大いに満足したと伝えられています。
恐れられる存在でありながら、同時に「見せる」「魅せる」ことを楽しむ人物。庶民にも気さくに声をかけ、イベントを通じて自らの権威を演出する。そしてその“演出力”こそが、のちに秀吉へと受け継がれていくのです。
信長は、単なる武将ではなく、優れたプロデューサーでもあったのかもしれません。どうですか、あなたの中の信長像、少し変わったのではないでしょうか?
「派手好き」「エンタメ好き」のDNAは、やがて豊臣秀吉へと受け継がれていきます。信長を超える“演出家”となった秀吉の話は、またの機会にご紹介しましょう。
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