『豊臣兄弟!』第9回、あの“謎の武将”は誰だ?斎藤龍興の家老・長井隼人正道利の正体【前編】
『豊臣兄弟!』第9回「竹中半兵衛という男」では、タイトル通り竹中半兵衛(演:菅田将暉)を中心に物語が展開しました。
とはいえ、美濃三人衆の斎藤家離反から稲葉山城落城までが描かれ、さらに直(演:白石聖)の父・坂井喜左衛門(演:大倉孝二)を通じて、秀長(演:仲野太賀)が直の死を乗り越えていく姿も感動的でした。
しかしその一方で、どうしても気になって頭から離れない“謎の人物”を見つけてしまったのです。
今回は【前・後編】の2回に分けて、その人物の正体、そして斎藤龍興(演:濱田龍臣)とのその後の関係について迫っていきます。
謎の人物は龍興の家老・長井道利?
その人物は、稲葉山城で斎藤龍興を囲んで行われた軍議の場面に登場します。
いや、筆者が見逃していただけで、もしかするとそれ以前から登場していたのかもしれませんが……。
この場面では、龍興が安藤守就(演:田中哲司)に半兵衛の殺害を命じます。その時、龍興を中心に右側には稲葉良通(演:嶋尾康史)、氏家直元(演:河内大和)が並び、直元の前に守就が座っています。そして龍興と守就の間、つまり軍議の席の左側奥に、その人物が腰かけているのです。
日本文化に親しんでいる人ならおそらくご存じでしょう。左側の上段はもっとも身分の高い者が座る場所、いわゆる上座です。
ということは、この人物は美濃三人衆よりも上位の重臣であってもおかしくありません。ところがこの人、龍興が守就に詰め寄ると席を立ち、龍興の背後から黙って睨みを利かせているだけ。しかも一言もしゃべらないのです。
いったい何者なのか、どうにも気になってしまいます。
場面が変わり、織田信長(演:小栗旬)率いる尾張勢に稲葉山城を包囲された龍興が、やけになり近臣たちを集めて「信長の本陣を攻撃せよ!」と命じた時、ついにこの人物が口を開きました。
「お待ちください。それでは敵の思うつぼ。ここは籠城こそ最上の策かと」なんとも正論ではないでしょうか。しかし、龍興に退けられると、そこへ現れた半兵衛に扇子であおられた挙句、煙にむせてしまうありさま。
その時、カメラが後ろに回りました。そこで筆者は、あることに気づきます。この人物が着用していたのは、背中の開いた甲冑、つまり腹巻だったのです。
腹巻は、どちらかというと下級武士が用いる鎧。なのにこの人物、なぜか腹巻を着用しているのです。「えっ、この人、斎藤家の重臣ではなかったの?」「じゃあ、なぜ軍議の席で最上席に座っていたの?」疑問は次々と湧き上がります。
一体全体、この人物は誰なのでしょうか。ドラマを見終わった後も、どうにもおさまらない“謎の人物”への疑問。
そこで筆者は、勝手ながら大胆な推測をさせていただきました。この人物こそ、龍興が美濃国主の座に着いたとき筆頭家老となった長井隼人佐道利(ながいはやとのすけみちとし)ではないかと。
『豊臣兄弟!』の制作に関わる皆さん、間違っていたらごめんなさい。でも、この長井道利は斎藤家という戦国大名を語るうえで欠かせない人物なのです。
ですので、ここからはあくまで筆者の推論となりますが、この謎の人物を長井道利として話を進めさせていただきたいと思います。
出自は不明ながら斎藤家の最重要人物の一人長井隼人佐道利と聞いても、よほどの戦国マニアでない限り、ピンとこない人は多いのではないでしょうか。
しかし彼は、斎藤道三・義龍・龍興という美濃国主三代にわたり仕え、稲葉山城落城後も龍興と運命をともにした武将とされています。
美濃斎藤氏といえば、多くの人の頭に真っ先に浮かぶのは「美濃の蝮」こと斎藤道三(演:麿赤兒)でしょう。道三は一般に「一介の油売りから身を起こし、謀略と策略によって、わずか一代で美濃国主となった下剋上の代表的人物」として知られています。
しかし、その道三でさえ出自など不明な点が多いのが実情です。近年では新たな資料や研究によって、実は父の長井新九郎正利(後の西村勘九郎正利)と二代で美濃を掌握したことが明らかになりつつあります。
「えっ、道三の父の姓は長井なの?」「じゃあ、斎藤という姓は何なの?」そう思う人がいても不思議ではありません。
そもそも、美濃における斎藤家は、美濃守護・土岐氏の家臣であり、長井家はさらにその配下の家でした。つまり道三の父は長井家を乗っ取り、さらに道三はその主である斎藤家までも奪い取ったことになります。そのため、系譜関係が非常に複雑になってしまったのです。
ここからは少しでも分かりやすくするため、道三以前の斎藤家を「前斎藤家」、それ以降を「後斎藤家」と称して話を進めていきます。
長井隼人佐道利は道三の長男なのか?長井道利の出自には、以下の説があります。
●長井長弘の嫡男説
●斎藤道三の嫡男説
●斎藤道三の弟説
しかし、どれが正しいのかは現在でも判明していません。
先ずは「長井長弘の嫡男説」から紹介します。長井長弘は、前斎藤氏の重臣で藤左衛門家と称し、道三の父・新九郎正利を家臣に取り立てた人物です。しかし正利は、後に美濃守護・土岐頼芸の寵臣となり、1530年(享禄3年)~1533年(天文2年)の間に長弘を謀殺しています。
長弘には景弘という嫡男がいました。この景弘が1534年(天文3年)以降になると記録に現れることがなくなります。景弘がどうなったかは史料的には断定できませんが、何らかの理由で隼人佐道利がその名跡を継いだ可能性が強いのです。とすると、そこには正利あるいは道三の画策が見え隠れするのですが、正利は1533年(天文3年)に没したとされることから、この件は道三の仕業と考えるのが妥当でしょう。
続いて「斎藤道三の嫡男説」「斎藤道三の弟説」をみてみましょう。「嫡男説」は『寛政重修諸家譜』、「弟説」は『寛永諸家系図伝・井上系図』によります。ちなみに井上家は、道利の子孫が名乗った苗字です。
ここで興味深いのは、『井上系図』に次のような記述があることです。「道利は道三の長子として生まれたが、若年の時の子であったため弟とされた」。
では、どの説がもっとも可能性として高いのでしょうか。当時は名前に用いる字が血縁関係を示す場合が多かったことから、「道利」という名が正しいのであれば、藤左衛門家の「長弘」「景弘」との直接的なつながりはやや弱いといえます。
むしろ後斎藤家の道三は実名を「利政」と称し、義龍も当初は「利尚」と名乗っていました。このことから、「道利」という名は道三の一族である可能性が高いと考えられるのです。そして道三は、道利を庶子扱いとして長井姓を継がせ、斎藤姓は嫡男の義龍に継がせたのではないでしょうか。
このようなことから、道利が道三の長男であったとすれば、龍興の時代になり衰退していく後斎藤氏を最後まで見捨てず支え続けた理由も説明できるのではないでしょうか。
では【前編】はここまで。【後編】では、斎藤義龍・龍興の時代に道利がどのような役目を果たしたのかについて迫っていきます。
※参考文献
横山住雄著『斎藤道三と義龍・龍興』 戎光祥出版
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