【豊臣兄弟!】豊臣秀吉と秀長は“貧しい農民出身”は間違い?史料が示す、通説を崩す意外な出自 (3/4ページ)
この頃の秀長も、兄と同じく農作業より家の雑務を手伝いながら育ったと推測され、兄弟が農家の出身だったと断言するのは難しいのです。
“動く生活”
秀吉の出自を示す同時代の評価も、農民説では辻褄が合わないところがあります。
まず安国寺恵瓊は秀吉を「小者一ヶ」「乞食をも仕り候て」と評し、島津家老の上井覚兼は「由来なき仁」と述べました。
有名なフロイスの『日本史』でも秀吉を下賤の家柄と記しますが、これらは農民というより、定住しない漂泊民的な存在を指しているように見えます。
つまり秀吉は、農村社会の内部ではなく、その周縁にいた人物だった可能性が高いのです。
漂泊民や商工民は、土地に縛られず、行商や芸能、雑役など多様な技能を持ちます。秀吉の柔軟な発想力、人心掌握術、交渉力は、こうした環境で育まれたと考えると腑に落ちます。
また秀長は、そうした兄の動向を間近で見ながら、農民ではなく“動く生活”の中で育った青年だったかも知れません。