【豊臣兄弟!】豊臣秀吉と秀長は“貧しい農民出身”は間違い?史料が示す、通説を崩す意外な出自 (2/4ページ)

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では、秀吉と秀長はどんな環境で育った可能性があるのでしょうか。

非農業民の痕跡

面白いことに、秀吉の家系をたどると、これまでの「農民出身」のイメージとは異なる痕跡が次々と浮かび上がります。

まず『塩尻』の「秀吉系図」では、祖先が近江国の還俗僧だったと記されていますし、『尾張群書系図部集』にも同様の記述があります。

還俗僧は農業とは無縁のいわば「漂泊の民」であり、定住農民とは異なる生活様式を持っていました。

さらに秀吉の母は御器所村の出身とされますが、ここは木地師が集住した地域と考えられ、農業よりも工芸に近い環境だった可能性があります。

豊臣秀吉の座像

また母の再婚相手であるとされる竹阿弥は、織田家の同朋衆として記録に登場しますが、この同朋衆も茶の湯や連歌、芸能で主君に仕える特殊な階層で、農民とは異なる社会的立場でした。

考えてみれば秀吉が幼少期に寺へ預けられ、のちに針売り草履売りをしていたという逸話も、彼の生育環境が農業とは無縁だったことを示唆します。

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