『豊臣兄弟!』“悪役” 松永久秀(竹中直人)は本当に東大寺大仏を焼いたのか?史料から見えた真実

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『豊臣兄弟!』“悪役” 松永久秀(竹中直人)は本当に東大寺大仏を焼いたのか?史料から見えた真実

NHK大河『豊臣兄弟!』第11回「本圀寺(ほんこくじ)の変」において、ついに本格始動を開始した我らが悪役・松永久秀(演:竹中直人)。摂津芥川城にて、織田信長(演:小栗旬)に挨拶に訪れた久秀は、2回にわたり刺客に襲われた。

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「さすがは将軍を殺した男だ。」と高笑いをみせる信長に、「身に覚えがない事でございます。」と答える久秀。

「まなざしで探り合うような、何を考えているのか分からないような、無言の“間”を大切にしています」とインタビューの中で語っている竹中。(『NHK大河ドラマ・ガイド 豊臣兄弟! 前編』より)

その言葉どおり、感情の起伏が激しい小栗・信長と、かつて二度にわたり豊臣秀吉を演じた“大河レジェンド”竹中・久秀による、息詰まる名場面であった。

将軍・足利義輝殺し、そして東大寺大仏殿放火による大仏焼失。久秀は歴史上、極悪人として描かれることが多い。近年、義輝殺害の現場にはいなかった可能性が高いことが明らかになってきたが、では大仏を焼いたのは本当に久秀なのだろうか

その点を、文献史料から考察してみたい。

信長と対面する松永久秀。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

大仏殿が消失、大仏の首が落ちる―永禄10年の戦火

驚愕の事件は、1567年(永禄10年)10月10日に起きた。奈良時代、聖武天皇により国家鎮護の象徴として鎮座せられた大仏(廬舎那仏)が二度目の戦禍にあい、大仏殿が消失、大仏自身も炎上し、その首が落ちたのだ。

東大寺大仏(撮影:高野晃彰)

ちなみに一度目の戦禍とは、1180年(治承4年)、平重衡(たいらのしげひら)の兵火によって伽藍の大半が灰燼に帰した時だった。そして、1567年の戦禍とは、松永久秀と三好三人衆による合戦から生じたものだ。

両者はこともあろうか、貴重な文化財が集中する奈良、それも東大寺の境内で戦いを始めた。三人衆は約2万の兵で大仏殿・二月堂を占拠。対する久秀は約5千の兵でこれに対峙する。

三人衆が大仏殿に陣を移すと、久秀は居城・多聞山城を背に戒壇院を占拠し、これを鉄砲陣地に改造。ここから大仏殿へ銃撃を加えた。

戦闘は激化し、夜間、久秀軍は大仏殿を奇襲。結果として松永軍が勝利する。しかしその戦いのさなか、大仏殿は炎上し、大仏の首は焼け落ちたのである。

東大寺の記録は「松永軍の放火」と記す

現在考えられている出火原因は、主に三説ある。
1.松永久秀軍の放火
2.三好三人衆軍の失火
3.松永軍内にいたキリシタンによる放火

現在、有力視されているのは三人衆の失火説である。しかし、夜間奇襲を行ったのは久秀側であり、混乱の中の出火であった以上、完全な無関係とも言い切れない。

三好三人衆。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

この件に関して、国際日本文化研究センターの磯田道史教授は、自ら発見した1567年(永禄10年)年の大仏炎上を記した東大寺側の資料から、三人衆敗走後の出火とみる。

そこには次のようにある。

「十月十日夜十二時ごろ、松永弾正方が三手をなして大仏殿を夜襲。軍兵を多く討ち捕り、西の回廊に火を懸け、寺じゅうの老若が身命を捨て闘争の場に出て水をくみ上げ、瓦をくずして消火したが、西風がしきりに吹き猛火が大仏殿に懸り即時炎上」

東大寺大仏殿(Wikipedia)

つまり、東大寺側は「松永軍の放火」と見ていたようだ。ともあれ、東大寺は合戦中に危険を顧みず消火活動を行った。しかし、「大仏のお首は落ち、後にあった」。そして、「炎上の翌日、老若消魂」して皆途方に暮れたという。

この衝撃は、東大寺だけに留まらなかった。

「大仏も焼けた。狂へ。ただ遊べ。浮世は不定の身を持ちて」という刹那的な小唄が織田家中で流行したと伝わるほど、当時の人々に大きな衝撃を与えたのである。

結論から言えば、出火の瞬間を見た者はおらず、真犯人は断定できない。それでも当時から、犯人は久秀と目されていた。皮肉にも、この戦いの勝者が彼だったからである。

松永久秀像/高槻市立しろあと歴史館蔵(Wikipedia)

大仏焼失直後、久秀の使者が東大寺を訪れる。寺側は当然、謝罪と考えた。だが、伝えられた言葉は驚くべきものだった。

「寺中の金銀米銭、悉く借り申す」

そして東大寺の財宝は残らず徴発された。東大寺は久秀を「積悪の主。前代未聞」と記す。この戦禍と久秀の所業は、すでに衰えつつあった東大寺の勢いに大きな打撃を与えた。

こうして、「大仏を焼いた男」という罪名は、松永久秀に刻みつけられていったのである。

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※参考文献
磯田道史著 『日本史を暴く』 中公新書

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