『豊臣兄弟!』万丸を人質に取り最期まで秀吉に仕えた男…史実での宮部継潤(ドンペイ)の生涯を辿る
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、姉川大合戦で勝利した織田信長(小栗旬)は、裏切った浅井長政(中島歩)の討伐に本腰を入れます。
その一環として信長は、宮部継潤(みやべ けいじゅん 演:ドンペイ)の調略を秀吉(池松壮亮)に命じました。小一郎(仲野太賀)や弥助(上川周作)の助けもあり、調略に成功。
第16回「覚悟の比叡山」は、比叡山焼き討ちと共に、宮部継潤の調略に至る過程にもフォーカスし描かれていましたが、今回は宮部継潤について、史実ベースでその生涯をたどってみたいと思います。
荒法師から浅井家臣に
ドンペイ演じる宮部継潤。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
宮部継潤は享禄元年(1528年)ごろ、土肥真舜(どい まさとし)の子として誕生しました。まだ幼い天文5年(1536年)に比叡山へ登って出家し、善祥坊(ぜんしょうぼう)と号します。
比叡山時代はいわゆる荒法師(悪僧・僧兵)だったと考えられており、後の活躍を裏づける武勇はここで培われたのかも知れません。「真面目に修行しろ」というツッコミが入りそうですが、これも比叡山を維持していく上で大切なことだったのでしょう。
やがて比叡山を降りた(年季明け?それとも逃げ出した?悪さして追放された?)善祥坊は、湯次神社(ゆつぎ。滋賀県長浜市)で社僧を務めていた宮部清潤(せいじゅん)の養子となり、宮部継潤と名乗りました。
それから武勇を買われたのか浅井長政に仕官し、信長との合戦において活躍したと言います。
しかし元亀2年(1571年)10月に秀吉の調略に応じて織田へ寝返り、秀吉の与力となりました。
『浅井三代記』では織田に忠義を示すために浅井方の国友城を攻め、銃撃によって負傷したと言います。
いっぽう『信長公記』では少し前の8月から9月にかけて、宮部村を守るように命じられたとあり、寝返った時期にズレがあるようです。
ところで継潤は秀吉に対して「養子≒人質を出せ」と要求しており、秀吉は甥っ子である万丸(よろずまる。後の豊臣秀次)を差し出しました。
万丸は秀吉の姉とも(日秀尼。宮澤エマ)と弥助(三好吉房。上川周作)の長男であり、秀吉は姉夫婦から子供を奪いとったのです。
果たして万丸は後に元服して宮部吉継(みやべ よしつぐ。次兵衛)となり、後に三好康長(みよし やすなが)の養子となるまで人質の立場に置かれました。
※参考記事:
『豊臣兄弟!』息子3人を失い一族すべて処刑…豊臣秀吉の姉・とも(宮澤エマ) 激動の生涯やがて天正元年(1573年)8月に信長が浅井長政を滅ぼすと、継潤は秀吉から3千石を与えられます。
この破格の厚遇から、継潤の寝返りが浅井攻略の上でいかに大きな転機となったかがうかがい知れるでしょう。
秀吉から厚く信頼される
かくして秀吉の与力となった継潤は、天正5年(1577年)から秀吉の中国攻めに従軍。主に羽柴長秀(小一郎。仲野太賀)を補佐しながら山陰方面で活躍しました。
小一郎が山陽方面へ出張して不在になる際は、代わりに指揮をとるほど信頼されたと言います。
歴戦を経て武功を重ね、天正8年(1580年)ごろには但馬国豊岡城(兵庫県豊岡市)と2万石の所領を与えられました。
天正9年(1581年)には因幡国鳥取城(鳥取県鳥取市)で城代を務め、毛利氏の反撃に備えたと言います。
翌天正10年(1582年)に本能寺の変(明智光秀による信長暗殺事件)が起こり、秀吉と小一郎が中国戦線から京都へ駆け戻った「中国大返し」では、前線に残って二人の背後を支えました。
これによって秀吉たちは、後顧の憂いなく明智光秀(要潤)との決戦に臨むことができたのです。
信長の死によって混乱した織田政権を乗っ取った秀吉により、継潤は鳥取城主の座と5万石の所領を賜わりました。
その後も天正13年(1585年)の佐々成政(白洲迅)討伐や天正15年(1587年)の九州征伐に参陣。武功を重ねています。
天正18年(1590年)の小田原征伐にも従軍し、ついに秀吉の天下一統を見届けるにいたったのでした。
この年に継潤は嫡男の宮部長房(ながふさ)に家督を譲って隠居しますが、戦場の指揮を任せたくらいで、政務の実権は握っていたようです。
(※翌天正19・1591年に小一郎が世を去り、大河ドラマ「豊臣兄弟!」はここで終了?)
やがて文禄2年(1592年)に第一次朝鮮出兵(文禄の役)が起こると、肥前名護屋へ出陣しました。渡海を願い出たものの、流石に高齢だったため許されなかったと言います。
寄る年波には勝てず、慶長元年(1596年)に本当の隠居。しかし秀吉は継潤を御伽衆(側近)として身近に置き、何かと相談していました。
慶長3年(1598年)に秀吉が世を去ると遺物(形見)として黄金30枚を拝領、慶長4年(1599年)3月25日に自身も世を去ったのです。
終わりに
果たして宮部継潤の調略はどんな形で進められるのか?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
今回はドンペイ演じる宮部継潤について、その生涯を駆け足でたどってきました。浅井攻略のキーマンであるのみならず、その後も全幅の信頼を寄せられ、それをまっとうした名将と言えるでしょう。
果たして今後どんな活躍を魅せてくれるのか、楽しみにしています!
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桑田忠親『太閤家臣団』新人物往来社、1971年1月 高柳光寿ら『戦国人名辞典 増訂版』吉川弘文館、1981年10月 谷口克広『信長軍の司令官』中公新書、2005年4月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


