朝ドラ『風、薫る』ナイチンゲールの教え子だった厳格教師…バーンズ先生のモデル、アグネス・ヴェッチの生涯

Japaaan

朝ドラ『風、薫る』ナイチンゲールの教え子だった厳格教師…バーンズ先生のモデル、アグネス・ヴェッチの生涯

NHK朝の連続テレビ小説『風、薫る』

舞台は、日本初の「トレインド・ナース(正規の訓練を受けた看護婦)」を養成する『梅岡女学校 看護婦養成所』へと移りました。

サブテーマ「集いし者たち」のように、ヒロインの一ノ瀬りん(見上愛)と大塚直美(上坂樹里)は、共に机を並べる同級生たちと初めて出会います。

出自・年齢・個性・看護婦になりたい理由もバラバラな女生徒たち。さらに、個性的な校長兼所長・梶原敏子(伊勢志摩)や、うろたえ気味の英語の先生・松井 エイ(玄理)など、女性だけの世界です。

急拵えの養成所だったので「看護教育」を教えるスコットランド人教師のバーンズ(エマ・ハワード)先生は、まだ日本に到着していない状況。

バーンズのモデルは、実在した看護教育者でフローレンス・ナイチンゲールの教え子アグネス・ヴェッチがモデルではないかと推測されています。まだ黎明期にあった明治時代の日本の看護教育に大きく関わった人物です。どのような人だったのでしょうか。

※現代は「看護師」と呼びますが、この記事内ではドラマの時代に合わせて「看護婦」とします。

看護師として戦傷兵を見舞うナイチンゲール(1855年)

急拵えの「養成所」と個性的な生徒たち

まずは、バーンズ先生がこれから(たぶんビシビシと)教育する7人の女生徒たちをご紹介しましょう。

▪️玉田多江(生田絵梨花):江戸時代は将軍とその家族の診療をした奥医師の家に生まれ、「日本の医療に看護婦が欠かせない」という動機を持つ優等生。プライドが高い。

▪️泉喜代(菊池亜希子):32歳の最年長で敬虔なキリスト教徒。「人に奉仕したい」という気持ちから看護婦を目指している。穏やかそう。

▪️柳田しのぶ (木越明):日本橋の呉服屋の四女。結婚に人生を賭けず仕事を身に付けたい……が動機と語るも、実は「西洋の看護婦の制服が可愛かったから」が本音。着物や小物が凝っているおしゃれ大好きさん。

▪️東雲ゆき(中井友望):子爵のお嬢様。ナイチンゲールに憧れて看護婦になるため女学校をやめて養成所に転入。ナイチンゲール愛が強く写真を持っている。おっとりしているけれどナイーブそうなのが心配。

▪️工藤トメ(原嶋凛):東北から来た農家の娘で20歳。まだまだおぼこくて、東京に遊びに来たような感覚。けれど、言い返す気の強さを持ち根性がありそう。

とりあえず、これから彼女たちは同じ部屋で寝起きをし、交代で炊事当番をしながら、看護について学んでいきます。

生徒たちは、バーンズから「自分が到着するまでにフローレンス・ナイチンゲールの『NOTES ON NURSING』(※)を読むこと。最初の授業は最後の章を理解すること」という課題を渡されました。

もちろん、すべて英語。彼女たちは翻訳に頭を抱えることになります。英語が得意な多江と直美は、早くもマウントの取り合いでバチバチにバトルしています。

個性バラバラな初のトレインド・ナース候補生たち。(NHK『風、薫る』公式「X」より)

バーンズ先生のモデルとされるアグネス・ヴェッチ

バーンズ先生を演じるのは、ロンドン出身の女優のエマ・ハワードさん。NHKでは「英語であそぼ」「負けて勝つー吉田茂」ほか、テレビ・舞台・CM・ナレーションなど幅広く活躍している人です。

バーンズは、生徒に「ナイチンゲール方式」による看護教育を行います。

実習を中心とした「病院での実地訓練」や科学的看護「衛生・環境の重視」だけではありません。看護婦には規律と人格も求められるために生活態度や礼儀の教育も行うのです。

バーンズのモデルではないかといわれているのが、実在の人物アグネス・ヴェッチ。

史実では、ドラマの中の『梅岡女学校付属看護婦養成所』のモデルとされる『桜井女学校附属看護婦養成所』において、りんのモデル大関和、直美のモデル鈴木雅にまで、看護学を教えていたそうです。(明治20年(1887)10月〜明治21年(1888)年10月ごろ)

繊細なレースに縁取られた衣装とヘッドキャップがおしゃれなバーンズ先生(NHK『風、薫る』公式「X」より)

ナイチンゲールの教え子だったアグネス・ヴェッチ

アグネス・ヴェッチは、天保13年(1842)に、スコットランドのエジンバラで誕生。明治7年(1874)には旧エディンバラ王立救貧院病院看護学校にて一期生として入学し、看護を学びました。

卒業後にエディンバラ王立救貧院病院で看護婦を始め、その後、セント・メアリー病院や新エディンバラ王立救貧院病院でも働いています。明治14年(1881)に病院を退職、兄が宣教医をしていた清朝に向かったのです。ずいぶん行動力がある女性だったようですね。

(余談ですが、ヒロインたちはもちろん、大山捨松(多部未華子)といい矢嶋楫子がモデルでは?と推測される梶原敏子(伊勢志摩)といい、日本に「看護の道」を切り拓いた女性たちは、この時代に海外に行っていたせいか、すごい行動力があって圧倒されます)

アグネス・ヴェッチは、明治20年(1887)に日本政府に「お雇い外国人」(※)として招聘され、東京帝国大学(現在の東京大学)医科大学第一病院の看護教師として着任しナイチンゲール方式の看護を教えます。

※お雇い外国人:幕末・明治の日本で、政府・民間を問わず各機関や個人に雇われた人

1年間、同病院で看護教育に当たる中、宣教師のマリア・T・トゥルー(ドラマ内では、宣教師メアリーのモデル)が創設した桜井女学校から来た大関和や鈴木雅らを、同病院の看護婦や副看護婦と合わせて指導、看護方法の講義のほか西洋式の看病術を病院で実地訓練していました。

その際、複雑な日本語を話せないときは、英語が堪能だった鈴木雅が通訳をしていたといわれています。

1888年(明治21年)11月に任期満了となり日本を離れますが、彼女の教育のもと、桜井女学校からの依託生6人を含む28人が看護婦として養成され、うち1人は看護教師となりました。

修了式では個々に修了証が手渡されたのですが、鈴木雅の修了書だけ「彼女は自分の職務に対し、最も理解しており、看護教育に最適な人物と考える」と署名入りで書いてあったとか。冷静で芯の強い雅を自分の後継者にと思っていたそうです。

「トレインド・ナースの育成」という偉業をなしとげたアグネス・ヴェッチは、1942年に故郷のエディンバラで100歳で亡くなりました。

出典:『植村正久と其の時代 第5巻』。前列真ん中の人物がアグネス・ヴェッチで、撮影時期は1888年10月26日の1期生卒業当時と推定。 前列右より二人目は大関和。WIKI

バーンズ先生が教える『看護』の本質

バーンズが、生徒に託したナイチンゲールの著書『NOTES ON NURSING』。

「very alphabet of a nuse」の訳に悩む、自称「英語もドイツ語も問題ありません!」な多江は、「veryは“はなはだ”、alphabetは“ABC”よね?“はなはだABC”ってどういうこと?」と大混乱中。

「多江が悩んでいるようだ」と伝えるりんに直美は「頭の固い人には難しいかもね。alphabetは“いろは”。つまり、“看護婦のいろは”、“看護婦の基本”って訳せばいい。ざまあみろ」と言います。

多江は自慢の「学問の英語」にこだわるあまり、杓子定規な解釈になってしまい、「何を伝えようとしているのか」をハートで掴むのが苦手な様子。

直美は、多江の偉そうで時折垣間見せる差別意識が大嫌いな様子。けれど、この二人「女同志の馴れ合いは大っ嫌い!」が共通しています。

一見キツいけれど脆い部分もありそうな二人。意外と似た者同士で、仲良くなるかもしれません。

初対面なのにとても好戦的な多江。(NHK『風、薫る』公式サイトより)

『看』は「手」と「目」で物事をよく見るという意味

さらに、皆、頻出する「observe」の意味に頭を悩ませています。直訳すると「観察する」の意味。

実は、ナイチンゲールの言葉に、

『経験をもたらすのは観察だけなのである。観察をしない女性が、50年あるいは60年病人のそばで過ごしたとしても、決して賢い人間にはならないであろう。』

があります。これが看護婦としての「いろは」なのですね。

「看護」の「看」という文字は、「手」と「目」との組み合わせ。 目の上に手をかざしている様子で、『物事をよく見ること』を表しているそう。

患者さんの様子をしっかり注意深く、自分の「手」と「目」で「看よ」ということでしょうか。

さらに、バーンズ先生は徹底した「衛生管理」を指導していきます。部屋の掃除や換気はもちろん、トレインド・ナース自身が徹底的に衛生管理することが「看護のいろは」であることを教えていくのでしょう。

フローレンス・ナイチンゲールが1859年に書いた本『NOTES ON NURSING』1860年の改訂版では、看護師に向けて書かれた章が追加に。(NHK『風、薫る』公式「X」より)

最後に

今はまだ、仲が悪く一触即発なムードになる生徒たち。けれど、そんな看護婦見習いの彼女たちを、差別と偏見で見下す人間が『梅岡女学校』の敷地内にもいました。

東雲ゆきの元同級生だった女学生らです。わざわざ『看護養成所』まで出向いて、彼女らに「あら、人数が少ないのねえ〜」「仕方ありませんわ〜看病でお金を得たいなんてご立派な方、少なくて当たり前」という、実に幼稚で卑しい嫌がらせを言います。

大山捨松のことを「欧風芸者」と陰口を叩いていた鹿鳴館の婦人たちの表情にそっくり。

あの鹿鳴館の婦人たちも、この女学院の生徒たちも、悪口の根底には「うらやましさ」があるような気がします。

『女は結婚して夫に従い学問は不要」な古い明治の価値観に従い生きているため、「自分の力で、新しい世界に飛び立とうとする女性たち」に対して嫉妬や焦りを感じているのかも。

「看護の意味さえわからない遅れた考え方の人たち」と、直美のどストレートな反論の言葉が気持ちよかったです。

まだまだ、これから「日本で初めて」に挑戦する彼女たちは、このような者たちの差別や偏見や嫌がらせに出会っていくのでしょう。

けれど、そのたびに「同志」の絆が強くなっていくのかもしれません。

頑張れ「梅岡女学校看護婦養成所」の生徒たち!

参考:
亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語
エディンバラ王立救貧院病院看護学校とアグネス・ベッチ(日本医史学雑誌第36巻第3号)

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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