朝ドラ【風、薫る】日本髪はなぜダメだった?“女子断髪禁止令”の時代にバーンズ先生が教えた看護の基本

Japaaan

朝ドラ【風、薫る】日本髪はなぜダメだった?“女子断髪禁止令”の時代にバーンズ先生が教えた看護の基本

NHK朝の連続テレビ小説『風、薫る』

いよいよ『梅岡女学校附属 看護婦養成所』に、スコットランド人看護学教師・バーンズ(エマ・ハワード)が到着し授業が始まりました。

ところが、会話は英語で意味がよくわからない上に、教えられたことは「シーツ交換や掃除」ばかり。どこが「看護の勉強」なのか理解できない生徒たちはストレスを抱えます。

さらに、バーンズ先生は、『日本髪は禁止』を言い渡します。看護とどう関係するの?と、とまどう生徒たちですが、髪型は看護婦にとって非常に重要なことでした。

明治時代、看護の世界ではなくとも、ちょん髷をやめ断髪になる男性が増えた影響で、一般の女性も髪を切る人が増えました。ところが「女が髪を短くするのはけしからん」と、東京府が『女子断髪禁止令』を出したこともあったのです。

この時代、女性が古い日本髪を捨て断髪や束髪に変えることは、『より衛生的で合理的なスタイルを選んだ職業婦人であること』であり『自分の生き方・考え方を変える』表明でもありました。

※現代は「看護師」と呼びますが、この記事内ではドラマの時代に合わせて「看護婦」とします。

小手先のテクニックではなく『看護の基本』を徹底的に教えるバーンズ先生(NHK「風、薫る」公式「X」より)

「看護の基本」は徹底して衛生的であること

バーンズ先生のモデルは実在した看護教育者で、フローレンス・ナイチンゲールの教え子、アグネス・ヴェッチがモデルと推測されています。

先生が最初に指示したのは、ナイチンゲールの著書『NOTES ON NURSING』を訳すことでした。そして、到着後はいよいよ「看護の勉強」が始まると思いきや、次に指示されたのはベットシーツの交換と部屋の掃除

なぜ?と疑問を持ちつつ頑張る生徒たちですが、厳しい先生に「This is not nursing」(これは看護ではありません)と何度もやり直しを求められます。

先生が生徒たちに教えたかったのは、徹底した「衛生管理」。衛生的であることは、『NOTES ON NURSING』に書いてあった「very alphabet of a nuse」(看護の基本)だからです。

掃除・換気・シーツ交換……―これらはすべて「衛生」という西洋の看護にとって基本中の基本です。

「看護」という認識がなかった日本は、古い慣習や観念に縛られずに新しい思想や感性に馴染んで取り入れる必要がありました。生徒たちは、看護のプロになるために、“新しい時代の職業婦人”になる意識を持つことが大切だったのです。

さらに、先生は皆に「日本髪の廃止」を言い渡します。「次はあなたたち自身が清潔になること」と。

油で固め洗髪もまめにできない日本髪は不潔なので「自分たちで髪型を整えるよう」に指示したのです。

ほとんどの女性が日本髪の時代。皆戸惑っていましたね。(入学前にバッサリ髪を切っていた直美(上坂樹里)以外は)

日本髪をやめ白いエプロンをしてよりナースらしくなってきた生徒たち。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

油で固めた日本髪は月に1度しか洗えず不衛生

看護婦は、感染を防ぐためにも「自分自身の衛生」に気を配る必要がありました。現代と違い、明治初期、多くの女性は日本髪を髪結職人に結ってもらい、洗髪は月に1回ほどでした。

そして、髷には固定用ビン付け油、艶を出す椿油、匂いを付ける香油などを塗っていました。そのため埃やゴミが付着しやすく、汗や皮脂で地肌も汚れやすいものでした。

江戸時代の美容指南書『都風俗化粧伝』には

「夏の日は汗と油の腐りたるにて、はなはだあしき臭いすれば、嗜みて、ことにたびたび洗い、悪しき臭いを去るべきことなり」

とあります。決して清潔とはいえないですね。

そして、「ふのり(海藻)」と「うどん粉」を熱湯に溶かして髪にすりつけ揉んでからすすぎ、最後に水で洗う洗髪方法が書いてあるそう。半日がかりの大仕事のうえドライヤーもないので、洗髪後は自然乾燥。晴れた日を選んで洗髪していたそうです。

不衛生だけではなく時間も手間もかかり過ぎる日本髪は、ナイチンゲールが提唱する「衛生」とは程遠いもの。バーンズ先生の「日本髪の廃止」命令は、合理的で理にかなっていたのでした。

『都風俗化粧伝』(小泉吉永所蔵)日本髪の女性が髪をほどいて洗髪している様子。 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100275844

ナンセンスな明治時代の『女子断髪禁止令』とは

明治4年(1871)9月23日に『散髪脱刀令』が公布されました。

「髷は結わず散髪していい、士族でも帯刀しなくてもよい」という令で、身分ごとに決められていた髪型や服装のルールに従わなくていいことになったのです。さらに、明治6年(1873)に明治天皇が散髪したことが影響したのか、庶民の間にも断髪は一気に広まりました。

それに影響されて、女性も重い日本髪をやめて髪の毛を切る人が増えたそう。日本髪よりも、軽くてお手入れの楽な断髪は解放感があるので、真似したくなる気持ちはよく分かります。

ところが世間は女性の断髪に猛反対。平安時代から続いた「長い黒髪=美しい」「長い髪は女性らしさの象徴」という価値観はまだ浸透していたようで、新しい時代の始まりとは言っても髪型を変える女性に違和感を覚える人は多かったそうです。

本来は、女性がどんな髪型にしようと個人の自由で「余計なお世話」。

『伝統的な価値観』を捨て、女性が自分の意思で新しい流行を取り入れること」に対して、面白くないという気持ちや、自由に羽ばたく女性たちに対する拒否感や抵抗感からかも……。

「女に学問はいらない」「女は職業を持って社会にでるな」という考え方の人たちには、古風な日本髪をやめ髪を切りサラサラと風になびかせ軽快に街を闊歩する女性は気に入らなかったのかもしれません。

そんな断髪女性が増えていくことに危機感を抱き、東京府は明治5年(1871)4月5日『女子断髪禁止令』(東京府達32号)を発令しました。

現代の軽犯罪法に似た取締法規で、見つかると罰金か警察署に勾留されるという非常に理不尽なもの。文明開花とは口先ばかりのナンセンスな法令でした。

髷を落とし、洋装に改めた岩倉具視(wiki)

『女子断髪禁止令』に反発し「婦人束髪会」が発足

ばかげた「女子断髪禁止令」に反発し、明治18年(1885)には、医師の渡邉鼎(かなえ)と経済記者の石川瑛作が、『婦人束髪会(ふじんそくはつかい)』を発足させました。

ちょうど、史実では2年後の明治20年(1887)に、一ノ瀬りん(見上愛/大関和がモデル)や大家直美(上坂樹里/鈴木雅がモデル)が「桜井女学校看護婦養成所」に入学しています。

婦人束髪会は、伝統的な日本髪は「不衛生・不経済・不便」で、その全てを解消するヘアスタイルとして『束髪』を提唱。着物にも洋服にも似合う「三つ編み」を使ったアップスタイルで束髪啓蒙活動を始めたのです。

東京女子師範学校の教員や女子生徒が束髪を採用し、女学校を中心に束髪が広まりバリエーションも増え、流行のスタイルも登場するようになったそうです。

もちろん、明治時代の看護婦たちも、軽くて整えやすくアレンジが効いて、しかも油で固めないので洗髪もしやすく実用的な「束髪」を取り入れていったとか。

バーンズ先生の「日本髪は禁止」という命令は、看護婦として実用的かつ衛生的な髪型であることが大切であると教えただけではなく、「看護婦という職業を持った自立した女性を育てる」という意味もあったといわれています。

婦人束髪会(豊原国周)「束髪」のバリエーション。国立国会図書館デジタルコレクション

ぱっつん前髪で、三つ編みをカチューシャのように頭に巻きシニヨンも三つ編みで巻いたスタイル(NHK「風、薫る」公式「X」より)

新しい「職業婦人」のシンボルに

「風、薫る」のドラマ内で、『梅丘女学校』の校長かつ『看護婦養成所』の所長、梶原敏子(伊勢志摩)が、直美のバッサリ肩で揃えたワンレンボブスタイルを見て、びっくりしていましたね。

直美は、「今までの自分」と決別するつもりで切ったのですが、はからずも、衛生的で合理的な近代職業婦人のヘアスタイルを自分で選んだのでした。

直美以外の生徒たちは皆日本髪をやめ束髪にしました。後でツインシニヨンにしたり、三つ編みでカチューシャのようにしたりと、それぞれ束髪になって、より近代的に。

日本髪は自然に俯きがちになり「古風で慎ましい女性」という感じがしますが、束髪になると顎が上がり姿勢もよく颯爽とした感じ。ナースの洋風白いエプロンもよく似合っています。

「新しい職業婦人」というイメージなので、「女に学問も職業もいらん!」な男性たちにとってはこの新しさは脅威に感じるかも……ですね。

日本髪ではなく皆、束髪。前列右より二人目が大関和。撮影時期は1888年10月26日で、卒業記念のものと推定(wiki)

頑張れ!トレインド・ナースの卵たち

『女子断髪禁止令』に観られるように、女性が自立して職業を持ち、外見的にも新しい風を取り入れることに対して偏見が多い時代。

ドラマの中でそれを象徴する場面がありました。

生徒の一人でプライドの高い玉田多江(生田絵梨花)は、実家に戻る前にせっかくの束髪を日本髪に戻します。

実家では、医者の父親が娘の許可なく見合いを勝手に進めています。さらに「お前は嫁入り修行のために看護を学んでいる。婚家にとってもいいだろう」と暴言。しかも「看護の勉強」を「夫を支えるためのもの」と言います。

医師でもこんな認識なのか……さすが「看護」という認識がない時代の日本だけあるなとうんざりする場面でした。

けれど、そんな父親に言い返せない多江。思わず「言い返してやれ!」と肩を揺さぶり励ましたくなりました。

せっかく束髪にしたのに実家の両親に会うため日本髪に戻してしまう多江。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

こんな壁をこじあけ道を切り開いていった実在の人物、大山捨松(多部未華子)、バーンズ先生(アグネス・ヴェッチがモデル)、校長の梶原敏子(矢嶋楫子がモデル)、宣教師メアリー(マリア・T・トゥルー)。

そして、看護婦となり現場を改革し「日本のナイチンゲール」となった一ノ瀬りん(大関和がモデル)や大家直美(鈴木雅がモデル)etc。

身に付けた学問を『世を渡る翼となり、身を守る刀になる』にした彼女たちを改めてリスペクトしました。

医師でさえ女性の「看護」を「嫁入り道具」と考える時代。これから病院の看護実習でいろいろな方面から差別や偏見にあいそうですが……

頑張れ!私たちの時代までに繋がる道を切り開いたトレインド・ナースの卵たち!

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参考:ポーラ文化研究所「もっと知りたい日本髪 束髪」

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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