『豊臣兄弟!』なぜ長篠合戦を描かない?若き家臣団の登場と史実の違いを読み解く…第18回放送を考察
織田家仕官から20年。晴れて長浜城主となった羽柴秀吉(池松壮亮)ですが、いきなり偉くなってしまったため、人手不足で領内を治め切れません。
更にはせっかく従軍した越前一向一揆でも、人手不足のために手柄をみんな掻っさらわれてしまったようです。
そこで竹中半兵衛(菅田将暉)の献策に従って人材登用試験を実施、最終試験まで残ったのは平野長泰(西山潤)・石田三成(松本怜生)・片桐且元(長友郁真)そして藤堂高虎(佳田創)の四人でした。
問題児の高虎が不採用かと思いきや、羽柴小一郎(仲野太賀)に仕えることで一件落着となります。
他にも加藤虎之介(伊東絃)や福島正則(松崎優輝)など、次世代を切り拓く俊英たちの登場に新たな章の幕開けを予感させる展開でした。
それでは大河ドラマ「豊臣兄弟!」第18回放送「羽柴兄弟!」を振り返ってまいりましょう。
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長浜城下を見渡す兄弟たち。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
武田信玄(高嶋政伸)の没後も依然として織田信長(小栗旬)の脅威であり続けた武田家。その脅威を撃退し、攻勢へと転じる契機となった長篠の合戦が、本作では描かれませんでした。
多くの戦国ファンにとって、長篠の合戦は武田家の衰亡を描く重大事件。それをナレーションで片づけてしまったのは、ショックだったのではないでしょうか。
豊臣兄弟がまったく関与していないなら割愛もわかりますが、少なくとも秀吉は従軍しているはずです。天下無敵を誇った武田軍の壊滅が、彼の人生に少なからず影響したと思われますが……残念でしたね。
もしかしたら、あまりに惨たらしい戦場の現実を見せつけることになるため、視聴者への配慮として割愛されたのかもしれません。
なお武田家の滅亡時点において、豊臣兄弟は中国地方へ遠征しているため、恐らく甲州征伐もナレーションのみとなるでしょう。
秀吉が疲れた「地獄」の越前一向一揆とは?
浅井三姉妹に気圧される?信長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
朝倉滅亡後の混乱に乗じて朝倉旧臣の富田長繁(とんだ ながしげ)が土一揆を煽動して越前一国を奪い取ったかと思えば、わずか一ヶ月で一向一揆が勃発して政権が転覆した事件です。
ちょうど織田政権にとっては石山本願寺との抗争や武田家の脅威、長島一向一揆などの対応に追われていたため、越前国を奪還する余裕がありませんでした。
しかし天正3年(1575年)8月に信長自ら3万とも言われる大軍を率いて越前国へ乗り込み、一向一揆を根絶やしにしたのです。
討ち取った敵は数知れず、処刑した捕虜はおよそ1万2千、奴隷として連行した人数は3万とも4万とも言われています。
信長は、残党を草の根分けても探し出し、女子供に年寄りだろうが構わず斬り捨てるよう厳命。今度ばかりは秀吉も容赦なく任務を遂行したのではないでしょうか。
また前田利家(大東駿介)が一揆衆1千ばかりを磔(はりつけ)や釜茹でという残虐な方法で処刑したことでも知られています。
劇中での秀吉は、疲れたと言うばかりで詳しく語られていませんでしたが、現地ではこんなことがあったのでしょう。
加藤虎之介と福島正則の生い立ちは?
虎之介と正則。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
加藤清正(虎之介)
永禄5年(1562年)6月24日生~慶長16年(1611年)6月24日没
福島正則
永禄4年(1561年)生~寛永元年(1624年)7月13日没
虎之介は秀吉の再従兄弟(またいとこ)、正則は秀吉の従兄弟とされています(諸説あり)。虎之介は天正元年(1573年)に秀吉の小姓として仕え、正則も概ね同時期に仕えました。
後に豊臣政権を支える名将へと成長していく二人を優しく見守っていた寧々(浜辺美波)は、彼らを実子の如く慈しんでいたようです。
寧々と虎之介・正則の絆がどのように紡がれていくかも、今後の見どころとなるでしょう。
石田三成はどのように仕官した?
座禅を組んだまま運び出される三成。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
永禄3年(1560年)生~慶長5年(1600年)10月1日没
浅井滅亡後の元亀2年(1571年)に父と次兄が秀吉に従ったため、概ね同時期に仕官したものと考えられます。
まだ10代前半と若かったため、秀吉の小姓として仕えたという説もあるようですが、一次史料からは確認されていません。
なお三成と言えば有名なのが三献茶(さんけんちゃ)のエピソード。秀吉が鷹狩りの帰りに寺へ立ち寄り、茶を求めたところ、小坊主が最初に大きい茶碗でぬるい茶を出しました。
二杯目・三杯目と飲み進めるにつれて、次第に茶碗が小さく、かつ熱くされたと言うのです。
これは「相手の喉の渇きに合わせて、最初はすぐ飲めるぬるい茶を多量に、二杯目以降は香りを楽しめるよう茶を熱くする」という気づかいでした。
小坊主の利発な配慮に感心した秀吉は、寺に頼んで小坊主を召し抱えたということです。ただし、このエピソードは『武将感状記』など後世の創作と考えられています。
平野長泰はどのように仕官した?
参集した牢人たち。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
永禄2年(1559年)生~寛永5年(1628年)5月7日没
父の平野長治(ながはる)が羽柴家に仕えていたことから、天正7年(1579年)に21歳で仕官しました。
劇中ではいきなり乗り込んできたような雰囲気でしたが、いわば世襲の家臣であり、実は既にレールが敷かれていたようです。
後に加藤虎之介や福島正則、片桐且元らと共に「賤ヶ岳の七本槍」と讃えられました。一番槍の大手柄がどのように描かれるのか、楽しみに見守りましょう。
片桐且元はどのように仕官した?
果たして試験の結果は?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
弘治2年(1556年)生~慶長20年(1615年)5月28日没
父の片桐直貞(なおさだ)と同じく浅井家に仕え、浅井滅亡後の天正2~7年(1574~1579年)ごろに羽柴家へ仕官したと考えられています。
しばらく浪人していたのか、あるいは早々に仕官したのか、はっきりしたことはわかっていません。
前述の通り武功によって「賤ヶ岳の七本槍」と賞され、秀吉亡き後も豊臣政権の中核を担う一人となります。
藤堂高虎はどのように仕官した?
佳田創演じる藤堂高虎。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
弘治2年(1556年)1月6日生~寛永7年(1630年)10月5日没
劇中では、小一郎にとって初めての家臣となった藤堂高虎。しかし実際には既に家臣がいました(自分一人で主命を遂行しなければならないほどの軽輩ではないからです)。
それはそうと、高虎は天正4年(1576年)に小一郎から300石で迎えられます。
小一郎に仕官するまでの間、高虎は浅井滅亡から天正4年(1576年)までの間に主君を転々と渡り歩きました。
浅井長政(中島歩)→阿閉貞征(あつじ さだゆき。浅井旧臣)→磯野員昌(いその かずまさ。浅井旧臣)&津田信澄(織田信澄。緒方敦)
この間、津田信澄は磯野員昌の養子となっているため、二家を経験していることになります。
身の丈は6尺2寸(約190cm)の大男で、十代の頃から賊を討ち取った武勇伝もある豪傑でした。しかしいかんせん気性が荒かったことが災いして、浪々の身となっていたのでしょう。
小一郎にとって終生の忠臣となった高虎が、いかにして名将へと成長していくのか、今後の展開を楽しみにしています。
『豊臣兄弟!』秀吉と小一郎はなぜ“羽柴”に?やがて徳川家康まで名乗らされた姓の正体 第19回放送「過去からの刺客」
第19回放送「過去からの刺客」NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
信長(小栗旬)は嫡男・信忠(小関裕太)に家督を譲り、安土に天下一統を見据えた巨大な城を造り始める。秀吉(池松壮亮)は柴田勝家(山口馬木也)を総大将とする上杉攻めに加わるが、作戦を巡り勝家と対立してしまう。一方、慶(吉岡里帆)に他国の武将と内通しているという疑いがかかり、小一郎(仲野太賀)は彼女が密かに足を運んでいるという村へ向かう。そこで小一郎は、慶がひた隠しにしていた悲しい過去を知り――。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
人材も充実したところで、ますます天下獲りへの歩みを進めていく豊臣兄弟。しかし秀吉に最大の危機が訪れます。果たしてこの窮地を、彼らはどう乗り切るのでしょうか。
そして慶(吉岡里帆)の過去についても言及されるようです。今までよくわからない存在だった彼女が、そろそろ「実は善人だった」ギャップを見せてくれるかもしれません。
果たして次週はどんな展開を迎えるのか、心待ちにしています!
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