朝ドラ【風、薫る】りんの運命を大きく変える外科医…今井益夫(古川雄大)のモデルとされる佐藤三吉の史実

Japaaan

朝ドラ【風、薫る】りんの運命を大きく変える外科医…今井益夫(古川雄大)のモデルとされる佐藤三吉の史実

NHK朝の連続テレビ小説『風、薫る』

第7週に入り、舞台は「帝都医大病院」へ移ります。養成所で西洋式の「看護」を学んだトレインド・ナースの卵たちは、いよいよ実践の現場に乗り出すことになりました。

彼女たちは今まで、看護養成所で教師や同僚とともに、“失敗も糧”になる「学び」の世界で過ごしてきました。

これからは病院の医師・先輩の看病婦(※)・患者など、さまざまな立場の人たちと接しながら、“間違えないよう”に、看護の基本と知識を発揮していかなければなりません。

西洋の合理的な「看護」の意味を理解しない人や、差別や偏見を抱えている人とぶつかり、傷ついたり悩んだりすることもたくさんあるでしょう。

第7週のテーマは「届かぬ声」。

舞台となる「帝都医大病院」のモデルとされる「帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)」、そして、一ノ瀬りんが深く関わることになっていく実在の人物・佐藤三吉がモデルか?と推測される医師・今井益男(古川雄大)について、史実を元にご紹介しましょう。

※看病婦:明治初期の看護師の呼び名の一つ

※現代では「看護師」という名称ですが、この記事ではドラマの設定に合わせて「看護婦」と表記しています。

帝都医大病院の看病婦と医師たち。右端がドイツ留学帰りのトップエリート外科の教授・今井 益男(NHK『風、薫る』公式HPより)

新しい実習服をまとい「帝都医大病院」で看護実習

『梅岡女学校 看護婦養成所』で、スコットランド人の看護教育教師・バーンズ(エマ・ハワード)が教える「看護とは何か?」を理解してきたヒロインの一ノ瀬りんや大家直美(上坂樹里)ら学生たち。

※参考記事:

朝ドラ『風、薫る』ナイチンゲールの教え子だった厳格教師…バーンズ先生のモデル、アグネス・ヴェッチの生涯

バーンズ先生が、実は日本語がペラペラだったのは驚きでしたね。わざと日本語を使わなかったのは、生徒たちの本音を知る意味もあったのでしょう。

さらに、これから西洋医学を学ぶためには英語は必須。「分からない・伝わらないなら、自分で学ぶ」という能動的な意識を育てるためもあったのかもしれません。

「帝都医大病院」へ看護実習へ出向くにあたり、バーンズ先生は生徒たちに西洋スタイルの実習着とキャップをプレゼントしました。

紺色の実習着は、肩にタックをふんだんに入れた長袖のパフスリーブ。首元と手首は白いカフス。上半身のフロント部分は細かいタックにくるみボタンで、共布のベルトでウエストを絞り、フレアーを効かせたロングスカート。130年近く前の制服ですが、レトロで可愛いデザインに魅了されます。

この上に、真っ白なエプロンと白いキャップをつけた看護婦さんが現れたら、病院内がパア〜ッと明るくなりそうな雰囲気。いかにも「新しい時代の看護婦=プロの職業婦人の卵」という感じがします。

一見、ロングスカートに長袖は歩きづらそうだし動きづらそう。けれども、もともと「看護」はキリスト教の修道女たちの奉仕活動から成り立ってきたので、トレインドナースの制服は肌を露出しない修道女をイメージしたデザインがベースといわれています。

さらに、肌を露出しないことで「感染から身を守る」役目もあり、エプロンやキャップが真っ白なのは、「すぐに汚れが分かり洗濯できるように」という意図もあるとか。

今までにない新しい制服を身に付け、意識も引き締まったのか彼女たちも「面構え」がキリッとしてきましたね。

史実でも、りんのモデルとなった大関和、直美のモデルになった鈴木雅は、明治21年(1888)に桜井女学校附属看護養成所を卒業して、トレインドナースとして「帝国大学医科大学附属第一医院」に配属されています。

西洋風のトレインドナースの実習服に白いエプロンとキャップ(NHK『風、薫る』公式HPより)

現在の東京大学病院がモデルとされる「帝都医大病院」

さて、前項でも触れたように、ドラマの「帝都医大病院」のモデルとされているのは、『帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)』です。

その歴史は古く、安政5年(1858)に設立した「神田お玉ヶ池種痘所」を起源としています。江戸の蘭学者たち82名が資金を出し合い、痘瘡の予防接種の普及を図るための集会所で、勘定奉行の川路聖謨の屋敷にあったそうです。

その後、名称を何度か変えながら、明治10年(1877)には「東京大学医学部附属病院」、明治19年(1886)には「帝都大学医科大学附属第一医院・第二医院」に改称。ドラマはこの時代をモデルにしたとされています。

実際に、「帝都大学医科大学附属第一医院」は、単なる病院ではありませんでした。医学生の臨床実習を行う場・医師が最新医学を実践する場・西洋医学を日本に定着させる拠点となっていたのです。のちに大関和は、この病院の外科看護婦取締に、鈴木雅は内科看護婦取締になります。

当時、同病院は日本でもトップクラスの病院でした。ところが、「女性が働きづらい職場」でもあったようです。

『風、薫る』の原案『明治のナイチンゲール 大関和物語』の著者、田中ひかるさんによると、「当時の病院は完全な男社会。大関和は最先端の看護学を学んだトレインド・ナースとしてプライドを持って働いていたものの、男性医師たちは彼女たちを一人前の職業人とは見なさなかった」そう。

また、驚くことに「“女性は生理で感情的になるから、職業に就くのには向かない”とい教える学校もあり、科学的根拠のない差別が続いた」とのこと。

「能力やスキルを身に付けた女性が社会で活躍する」ことに、自分の居場所を脅かされるような脅威を感じ、「女は学問を身に付けず結婚して家庭に入り、夫を支えるのが務め」と、家の中に閉じ込めようとしたのでしょうか。“女より男のほうが能力が上”と思うことで、自分のプライドを支えていたのかもしれません。

史実では、大関和はそんな環境に我慢できず、看護婦の待遇改善を求める建議書を提出して、同病院の男性医師たちからにらまれ職場を追われてしまいます。

明治23年(1890)和から建議書を提出され、新潟高田にある知名堂病院に移ることを進めたのが、同病院の外科教授を務めていた実在の人物・佐藤三吉。「風、薫る」のドラマの中では、今井益夫(古川雄大)です。

現在の東京大学病院。レトロなデザインの歴史的な建築物が残されている(撮影:高野えり 2025)

現在の東京大学病院。内部は近代的で、10階以上のフロアからの眺望がすごい。(撮影:高野えり 2025)

ドイツで学んだエリートの外科教授

今井益夫「帝都医大病院の外科教授」です。

公式サイトの古川雄大さんのコメントによると、「当時最先端の医療をドイツで学び、外科教授として病院を支える人物。しばし主人公と対立するも、そこには医局の責任者としての日本医学への想いがあります」とのこと。

りんの看護婦人生に深く関わっていきそうな今井益男外科教授(NHK『風、薫る』公式HPより)

この今井益夫のモデルでは?といわれている佐藤三吉は、美濃国大垣藩(現岐阜県大垣市)にて安政4年(1857)に誕生しました。大関和や鈴木雅より1歳年上になります。

明治3年(1869)、12歳の頃に東京で司馬凌海という医学者・言語学者のもとで学び、2年後には大学南校(現・東京大学)に入学。26歳の頃にベルリン大学に留学して外科学を学び、帰国後は東京帝国大学教授に任じられ、その後医学博士号を授与されます。

さらに、明治34年(1901年)には東京帝国大学医科大学付属医院・院長に就任しています。絵に描いたような優秀なエリートという感じです。

史実では大関和が、外科医局長だった佐藤三吉と知り合うのは、明治21年(1888)に看護実習を終えて、外科の看病婦取締に配属されたのちのことです。

看護婦の待遇改善を佐藤三吉に直訴

前項で「和が建議書を病院側に提出した」ことに触れました。実は、そのきっかけは、明治23年(1890)頃、従来から病院に勤務していた看病婦たちが、トレインドナースに触発され、看護の専門知識を学び始めたことでした。

最初、看病婦たちは、洒落た制服を着て、医師に意見するほどの医療知識を持ち、ときには医師の指示を待たず看護にあたるトレインド・ナースを煙たい存在だと思っていたそう。そんな彼女たちに大関和は「ナイチンゲールの看護の教えを説いて、この仕事は崇高なもの」と繰り返し伝えていったそうです。

徐々に看病婦たちは彼女に信頼を寄せるようになり「看護」の勉強に挑戦するように。けれども、向上心を持って勉強しようにも、昼間は病院内での看護作業があるため、夜に寝る時間を削って勉強しなければならないという状態で、看病婦たちは疲弊していきました。

そこで、和は、いきなり外科医局の責任者だった佐藤三吉に対して、看病婦の労働条件や待遇などを改善するための建議書を提出。元・家老の娘らしく難しい漢文で書かれていたそうです。

根回しなどせずに思いついたらまっすぐに突き進む、ドラマの中の一ノ瀬りんにそっくりですね。

ところが、実際、この行為は医局の医師たちの怒りを買い、業務に支障をきたしてはいけないと佐藤三吉は和を解任しました。けれども、彼女の仕事や才能は高く評価していたため、越後高田の知命堂病院に行くように勧めたのでした。

和はここから「日本のナイチンゲール」と呼ばれるに相応しい大活躍をするのですが、それはまだ少し先のお話。ドラマでは、今ご紹介した史実の部分がどう描かれるのか。冷静そうに見えるエリート・今井益夫と、おっとりしているようで情熱的で行動力のあるりんが、どのようにぶつかり話し合いをしていくのかが楽しみです。

今井益夫のモデルでは?と言われている佐藤三吉。wiki

病院スタッフや患者との関わりがどう描かれていくのか

余談ですが、古川雄大さんといえば、大河「べらぼう」の大ファンは、北尾政演(山東京伝)の、「つった重さ〜ん、吉原に連れて行ってくださいよ〜」や劇中劇の『江戸生艶気樺焼』を思い出すのではないでしょうか。政演とはがらっと異なり、ザ・エリートな今井益夫外科教授。さすがは演技力に定評のある古川さん、まったく別人ですね。

ほかにも病院では、歓迎ムードではなさそうな院長・多田 重太郎(筒井 道隆/モデルは、三宅秀か緒方正規、もしくは二人を組み合わせたといわれています)がいたり、外科の助教授の藤田邦夫(坂口涼太郎)とぶつかったり、外科の助手の黒川勝治(平埜生成)に冷静に観察されたり、一波乱も二波乱もありそうです。

教科書からは学べない、病院のスタッフや患者など生身の人間とのやりとりで皆がどのように成長していくのか……いつも理不尽な無理解や女性差別・看護婦不差別に怒りを覚えますが、「頑張れ!負けるな!トレインド・ナースの卵たち!」と見守りたいと思います。

※三宅秀:日本初の医学博士の一人。東京帝国大学名誉教授。
※緒方正規:東京帝大教授。日本における衛生学、細菌学の基礎を確立

参考:
・田中ひかる 「明治のナイチンゲール 大関和物語」中央公論新社
・亀山美知子 「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」 ドメス出版
・東大病院公式HP

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「朝ドラ【風、薫る】りんの運命を大きく変える外科医…今井益夫(古川雄大)のモデルとされる佐藤三吉の史実」のページです。デイリーニュースオンラインは、佐藤三吉今井益夫風、薫る古川雄大看護カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る