朝ドラ【風、薫る】りんの人生を動かす外科助手・黒川勝治(平埜生成)…実在モデル・瀬尾原始の実像

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朝ドラ【風、薫る】りんの人生を動かす外科助手・黒川勝治(平埜生成)…実在モデル・瀬尾原始の実像

NHK朝の連続テレビ小説『風、薫る』

舞台は、トレインド・ナースの卵7人 “ナース7” が看護実習を行う『帝都医大病院』(「モデルは「帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)」へと移り、いよいよ西洋式看護の知識を学んだ彼女たちの腕の見せ所!……かと思いきや。

まさかの最新を誇る病院には、古いままの「差別」「偏見」が満ちていました。もともと「看護」という認識がなかった明治時代の日本。看護は「金目当て」の人がやるという考え方が世間に存在していました。ところがその意識は、医師・看病婦・患者の間にも存在していたのです。

前回は、「帝都医大病院」で一ノ瀬りん(見上愛/モデルは大関和)の未来に関わることになる、外科教授・今井益男(古川雄大/モデルは実在の人物・佐藤三吉と推測)をご紹介しました。

朝ドラ【風、薫る】りんの運命を大きく変える外科医…今井益夫(古川雄大)のモデルとされる佐藤三吉の史実

今回は、今井と同様、りんの人生に大きな影響を与える外科助手・黒川勝治(平埜生成)の実在のモデルと推測される瀬尾原始(せのおげんし)をご紹介します。

※現在では「看護師」という名称ですが、この記事では当時の名称に合わせて「看護婦」と表記しています。

※本記事では登場人物のモデルとされる実在人物を紹介していますが、ドラマ上の人物設定や物語展開は創作を含むため、実在人物の生涯・経歴とは異なる場合があります。

外科助手を務めていた黒川勝治(NHK朝ドラ『風、薫る』公式サイトより)

看護の現場「帝都医大病院」は差別と偏見の塊

真新しい西洋風の制服に身を包んだトレインド・ナースの卵に、先輩看病婦(専門的な訓練は受けていない従来の看護人)は好意的ではありません。

彼女たちは、日本髪と着物にヨレッとしたエプロンをした旧式の姿のまま。(おしゃれな制服の看護学生はさぞかし疎ましい存在だったのでしょう)

そんな先輩たちは仕事もおぼつかず、水は床にばら撒く、換気はしない、シーツは取り替えない、掃除もしないので病室は不衛生な状態。さらに、患者のケアは「適当でいい」な態度。学生たちが衛生管理を訴えても「仕事が増えて困る」とやる気はなさそうです。というか、すごく迷惑そう。

副院長は英語が理解できるふりだけのプライドばかり高そうな感じ。“ナース7” を見て「女学生がいると華やぎますねえ〜」という、無意識なセクハラ言葉を吐く始末で、助教授・藤田 邦夫(坂口 涼太郎)は、見習い看護婦を見下し、医者であることを鼻にかけているタイプです。

さらに、患者の園部弥一郎(野添義弘)は、無駄に威張り散らし、りんを「下女ふぜいが!」と怒鳴るわりに、男性医師にはペコペコする典型的な男尊女卑な人。「権力を持つ人間」には弱いたちなのか知りませんが、思わず、ベッドをひっくり返してやりたくなります。

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よくもまあ、こんなに嫌な人間が揃ったもんだと感心するレベル。これだけ悪意が蔓延していると、りんでなくても落ち込みたくなるでしょう。

それでも、ど根性のあるりんは、園部が本当は痛みを隠していることを今井教授に直訴。教授は話を聞いてくれたものの、それだけで去ってしまいます。そんな様子を冷静に観察しているように見えたのが、外科助手の黒川 勝治(平埜 生成)でした。

「下女風情が!」と、男尊女卑丸出しのハラスメントをする薗部(NHK朝ドラ『風、薫る』公式サイトより)

父の病院の院長になる前に医大で外科助手を務める

前回、今井益夫のモデルは実在の人物で「ドイツで学んだ外科医・東京帝国大学医科大学付属医院の院長に就任した佐藤三吉では?」という記事をご紹介しました。三吉はりんの看護婦人生に関わる人物ですが、黒川勝治もりんの看護婦人生を変えていく人物です。

黒川勝治のモデルは実在の人物・瀬尾原始(せのおげんし)と推測されています。史実では、瀬尾原始は江戸時代に高田藩の藩医であった瀬尾玄弘の養子です。

養父・玄弘は明治4年(1871)に新潟県高田(現在の新潟県上越市)の自宅で知命堂という医院を開業。明治24(1891)年には、知命堂病院と改名し、原始は初代院長に就任しました。

明治27年(1894)には「知命堂病院附属産婆看護婦養成所」を開校し、明治39年(1906)には「財団法人 知命堂病院」を設立。その後、原始は明治45年(1912)に「財団法人 知命堂病院」の理事長に就任しました。

実は、原始は知命堂病院院長に就任する前、帝国大学医科大学第一医院に在籍していました。当時、原始は外科助手と兼任で看護婦養成の任に当たっていたそうです。

明治21年(1888)年、そこで看護学生だった大関和が看護実習を受けていました。原始はそれで和を知ったのでした。

病院解任時、佐藤三吉に知命堂病院を勧められる

前回ご紹介したように、史実でも大関和は看護婦養成所を卒業後に実習を受けた「帝国大学医科大学附属第一医院」に配属され、外科看病婦取締を務めます。

そして、今だに差別が残る環境に我慢できず、佐藤三吉に看病婦の労働条件や待遇などを改善するための建議書を提出。けれども、その行為は医局の男性医師たちの怒りを買ってしまいました。(『風、薫る』のりんも人のために、“まっすぐ正しいことをしよう”と頑張る人ですよね)

三吉は、看病婦取締だった和を解任。けれども、和の仕事に対する情熱やスキル、観察力や知識の深さを高く評価していたので、越後高田の知命堂病院を勧めたのでした。

※参考:

朝ドラ【風、薫る】りんの運命を大きく変える外科医…今井益夫(古川雄大)のモデルとされる佐藤三吉の史実

けれども、それより先に、桜井女学校の校長・矢嶋揖子(『風、薫る』の梶原敏子(伊勢志摩)のモデル)や、経営者のマリア・T・トゥルー(『風、薫る』の宣教師メアリー(アニャ・フロリス)のモデル)らが、和に就職先を斡旋します。

それは、桜井女学校の姉妹校でミッションスクールの高田女学校での、「生徒取締(舎監)」の職でした。和は、高田女学校で仕事をすることを選んで赴任します。

なぜか、皆が和に「高田に行け!」と導いたよう。『風、薫る』ではこのあたりの経緯はどのように描かれるのでしょうか。

和に知名堂病院に行くことを進めた今井益夫(NHK朝ドラ『風、薫る』公式サイトより)

原始は和を知命堂病院の看護長に大抜擢

大関和が高田女学校で舎監の仕事を始めて1年が過ぎた頃、街角で瀬尾原始と「偶然、再会」します。原始は事前に和のことをよく知っていたため、まもなく開院する知命堂病院の「看護長にならないか?」とスカウトします。

再会は偶然だったようですが、和の職場である高田女学校と知命堂病院は徒歩で10分ほどの距離だったそうです。もともと、佐藤三吉は和に知命堂病院を進めていたので、再会は運命が招いた必然だったような気がします。

(人力車で往診に出かけた原始が、道でばったり和に出合い、知命堂病院に勧誘したという説もあります。)

和は、高田女学校校長の栗原トヨ子に了承を得て退職。明治24年(1891)11月29日、知命堂病院の開院とともに、「看護長」としてトレインドナースの仕事に復帰したのでした。その後、和は4年間にわたって知命堂病院の看護長として様々なエピソードを残すことになります。

初勤務の大学病院を首になり転職するとは、一見外聞がよくないような感じですが、実は、このことにより和の看護婦人生は大きく変化し、それとともに日本の「看護」が大きく前進したといえます。

※関連記事:

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そう思うと、そんな運命に導いた佐藤三吉や瀬尾原始との出会いに感謝ですね。(もちろん、矢嶋揖子やマリア・T・トゥルーにも)

原始の家族の看護により信頼関係が深まる

知命堂病院の看護長に就任後、和は瀬尾の次男が気管支カタルが悪化して呼吸困難になりチアノーゼになったとき、現在でいう人工呼吸をして救命措置を行いました。

さらに明治27年(1894)、全国的にコレラや腸チフスが流行ったとき、妻の瀬尾ソノが腸チフスに感染。和はソノが回復するまで看護を行なったそうです。献身的に家族の看護をしてもらったことが、さらに瀬尾と和の信頼関係を深めたのでした。

また、同年、原始は『知命堂病院 附属産婆看護婦 養成所』という看護学校を開設。原始は所長、和は知命堂病院の看護長と兼ね看護学校の講師にも就任しました。

さらに、新潟上越地方でも感染症が拡大したときのこと、原始は私費を投じて『速成看護婦 養成所』も設立します。感染症患者の看護を担当する看護婦を養成することにしたのでした。ここの運営にも和が関わる予定だったともいわれています。

けれどもちょうどこの頃、恩師のマリア・T・トゥルーの病状が悪化。自分で看護をしたいと、原始に願い出て和は明治29年(1896)に帰京したのでした。

メアリー・トゥルー wiki

モンスターペイシェント問題のある時代だからこそ

帰京後も和はさまざまな活躍をしますが、それはまたご紹介しましょう。

世間や病院で差別や偏見と戦いつつ、新たな人脈と人生を築いていく大関和さん。ドラマでは、“正しいことをしよう”と、へこたれながらもあきらめずにしつこく食い下がるガッツのあるりんを見ていると、和さんも想像を絶する苦労を重ねてたのだなと思います。

モンスターペイシェントといわれ、看護師・医師・病院スタッフなどに理不尽な要求、暴力や暴言など非常識な言動を繰り返す患者が問題になる現代。特にコロナ感染拡大期には問題になりました。(実際、私も大病院で、看護スタッフを明治時代のように「下女扱い」する非常識な患者がいるのを、何度か見かけました。令和だというのに…)

当たり前のように病院で看護を受けられる時代だからこそ現場で働く人へのリスペクトや、数多くの先人が大変な思いをしつつ「看護への道」を切り開いてくれたことへ感謝の念は持ちたいもの。

今は、苦労しているけれど差別や偏見に負けず、頑張れ!梅岡看護婦養成所 一期生の“ナース7”!

※朝ドラ「風、薫る」実在モデル紹介記事:

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