朝ドラ「風、薫る」勝海舟(片岡鶴太郎)と医療の意外な関係…日本初の看護学校を支えた知られざる功績 (2/4ページ)
同年8月13日には外務省の外務大丞となりました。
この任官劇は、海舟の力量が政府から評価された結果です。同時に明治政府に人材が乏しかった証左でもありました。
明治5(1872)年5月10日、海舟は海軍大輔を拝命。海軍省の実務方のトップとして、近代海軍の育成を担う立場となりました。
翌明治6(1873)年10月25日には、参議に選任。さらに海軍卿を拝命して省庁のトップに上り詰めました。
明治初期の省庁は、上から卿(大臣)→大輔→少輔→大丞→少丞となります。8海舟はわずか数年で、海軍を取り仕切る立場となっていました。
悪い見方をすれば、旧幕臣の立場を捨てて明治新政府での栄達を掴んだーと言われるでしょう。いえいえ、決してそんなことはありません。
海舟は旧幕臣の取り立てにも熱心に取り組んでいました。
明治5(1872)年、蘭方医・戸塚文海が明治政府に出仕。戸塚は海舟にとって幕末の長崎伝習所からの旧知の人間でした。
戸塚はのちに海軍軍医総監や海軍医務局長などの要職を歴任。とくに海軍医務局は海軍病院や艦隊の医務室、軍医学校を所管する組織でした。
海舟にとっては、旧幕臣の登用というだけではなく、医療人材の引き上げと育成も喫緊の課題であったと思われます。