『豊臣兄弟!』秀吉はなぜ離脱?与一郎は実子ではない?慶との雪解けに視聴者歓喜の第19回放送を考察

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『豊臣兄弟!』秀吉はなぜ離脱?与一郎は実子ではない?慶との雪解けに視聴者歓喜の第19回放送を考察

『豊臣兄弟!』第19回「過去からの刺客」が放送されました。

織田信忠(小関裕太)に家督を譲り、織田信長(小栗旬)は岐阜から安土に移りました。

羽柴筑前守秀吉(池松壮亮)は豪姫を養女に迎え、家族の団らんを楽しんでいたと思ったら、七尾城救援のため出陣するよう命じられます。

しかし七尾城は既に上杉謙信(工藤潤矢)の手に落ちており、撤退するよう進言して総大将の柴田勝家(山口馬木也)と大喧嘩。挙げ句の果てに無断で軍勢を引き揚げてしまいました。

いっぽう羽柴小一郎長秀(仲野太賀)は留守居の最中、妻の慶(吉岡里帆)がひた隠しにしていた過去を知り、彼女の子・与一郎を養子に求めます。

堀池頼昌(奥田瑛二)・絹(麻生祐未)夫婦を説得し、晴れて小一郎に新たな家族が出来たのでした。

しかし秀吉から任務放棄を知らされ、迫り来る波乱の展開は次週のお楽しみ……そんな第19回放送を振り返って参りましょう!

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信長の息子と甥たち

信忠に家督を譲った信長。親子で顔もそっくり(画像:Wikipedia)

冒頭に嫡男の織田信忠はじめ、三男の織田信孝(結木滉星)と甥の織田信澄(緒形敦)が並んでいました。

次男の織田信雄(のぶかつ/のぶお。北畠信意)はどうしたんでしょうね。ちなみに三男信孝は伊勢の国衆である神戸(かんべ)氏に養子入りし、神戸信孝と名乗っています。

甥の織田信澄は亡き織田信勝(中沢元紀)の子で、柴田勝家に育てられ、津田信澄(つだ)と称していました。

この時点では浅井旧臣の磯野員昌(いその かずまさ)に養子入りしていますが、磯野姓を名乗ったかは不明で、実態は磯野家勢力を乗っ取る信長の思惑があったようです。

天正5年(1577年)の時点で、彼らは前途洋々たる若武者でした。

織田信忠21歳(弘治3/1557年生まれ) 織田信孝20歳(永禄元/1558年生まれ) 織田信澄23歳or20歳(弘治元/1555年or永禄元/1558年生まれ)

果たして彼らが今後、どんな活躍を魅せてくれるのか……期待して見守りましょう!

豪姫のたどる運命は?

豪姫を養女に迎えた秀吉と寧々。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

前田利家(大東駿介)とまつ(菅井友香)の四女として天正2年(1574年)に誕生した豪姫。彼女が秀吉夫婦の養女となったのは、数え2歳(満1歳前後)の時と言いますから、天正3年(1574年)のことになります。

……ん?みんなで豪姫を囲んで和気あいあいとしていたところへ、宮部継潤(ドンペイ)がやって来て出陣を告げていました。

七尾城救援の出陣は天正5年(1577年)ですから、みんなで3年以上も豪姫を囲んでいたのでしょうか。あるいは前提となる生年について、異説があるのかも知れません。

秀吉と寧々(浜辺美波)は豪姫をたいそう可愛がり、病弱だった彼女が狐憑き(キツネの霊に憑りつかれた状態)になってしまった時は、秀吉と利家が大掛かりな狐落としを執り行うほどでした。

後に宇喜多秀家と結婚したりキリシタンの洗礼を受けたり、波乱万丈の人生を歩むことになる豪姫の活躍にも期待したいですね!

秀吉はなぜ戦線離脱した?

最後まで対立する秀吉と勝家。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

八月八日 柴田修理亮 大将として北国へ御人数被出候……(中略)……羽柴筑前御届をも不申上帰陣仕候段曲事之由被成御逆鱗迷惑申され候……

※『信長公記』巻十「柴田北国相働之事」より

天正5年(1577年)8月8日に七尾城救援の兵を出した勝家たち。しかし秀吉は勝手に兵を引き揚げ、信長の逆鱗に触れてしまいます。

劇中では秀吉が「既に七尾城は落ちており、これ以上進めば敵の罠にかかる」旨を勝家に進言していました。

『武功夜話』では勝家がかねて秀吉に嫌がらせをしていたとか、機内で松永久秀(竹中直人)が怪しい動きをしているのを察知したからといった理由が記されています。しかし秀吉だけが正確かつ迅速な情報網を持っていたと考えるのは不自然で、これは結果から逆算した後知恵の創作でしょう。

単に喧嘩をしたのか、何か大きな利益に目がくらんだのか……秀吉が戦線離脱した理由については、いまだよくわかっていないようです。

秀吉の離脱後、勝家らは上杉謙信の急襲を受けて大敗を喫しました。これが後世に伝わる手取川の合戦です。

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堀池頼昌・堀池頼広は実在した?

祖父・頼昌の指導で弓の鍛錬に励む与一郎。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

安藤守就(田中哲司)の裏切りによって没落した堀池頼昌は、討死した嫡男の堀池頼広(よりひろ)を弔い、頼広と慶の子である堀池与一郎(高木波留)を育てていました。

慶が村川竹之助(足立英)としばしば密会していたのは、不倫ではなく我が子の与一郎を見守らせるため……だったそうです。

これまでさんざん「女狐」呼ばわりされてきた彼女の汚名返上と言ったところですが、だったら最初からそう言えばいいのに……と思ってしまう筆者は、やはりおなごのことを何もわかっていないのでしょう。

冗談はさておき、堀池頼昌・堀池頼広は実在したのかと調べてみたところ、やはり架空の人物みたいです。

ちなみに堀池一家が暮らしている宝久寺村(ほうきゅうじむら)も架空の地名と考えられます(もし実在していたら、ご教示ください)。

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与一郎は小一郎の実子じゃないの?

血がつながってなくても、永く一緒にいれば、きっと似てくるはず。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

劇中では小一郎の包容力を示さんばかりに連れ子設定となった与一郎ですが、実際には小一郎の実子だったと言われています。

ただし根拠となる文献『森家先代実録』や『高山公実録』は江戸時代に成立したもので、同時代の史料には登場しません。

与一郎は実名不詳。生年不詳~天正10年(1582年)ごろ没とされ、与一郎という通称(※)を名乗っていることから、生きている内に元服していた≒十数年以上は生存していたことがわかります。

(※)劇中では幼名のように扱われていますが、通称は元服した男性が用いるものでした。

推定没年から逆算すると、与一郎は元亀元年(1570年)以前に誕生していたと考えるのが自然でしょう。

後に与一郎は岩(いわ。智勝院殿)という女性(那古野勝泰女)を娶り、与一郎が亡くなると彼女は小一郎の養女となりました。ややこしいですね。

与一郎は武将として秀吉の中国攻めにも参陣していたことが『播磨鑑』や『別所軍記』に記されているので、与一郎の凛々しい若武者姿を楽しみにしましょう!

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第20回放送「本物の平蜘蛛(ひらぐも)」

第20回放送「本物の平蜘蛛(ひらぐも)」。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

信長(小栗旬)は、上杉攻めから離脱し勝手に帰国した秀吉(池松壮亮)に激怒。蟄居のうえ、死罪に処すと申し渡す。羽柴家一同が助命嘆願に奔走する中、松永久秀(竹中直人)が再び裏切ったという知らせが入る。九死に一生を得た秀吉と小一郎(仲野太賀)は久秀との談判に臨み、唯一無二の茶器・平蜘蛛を渡せば謀反は不問にするという信長の意向を伝える。だが破格の条件にもかかわらず、久秀はなぜか応じないと言い張る。

※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。

さて、次週は戦国三大梟雄の一人・松永久秀が壮絶な最期を遂げる名場面のようです。果たして久秀がどのような形で、平蜘蛛茶釜と運命を共にするのでしょうか。

サブタイトルを見ると「実は本物は……」という展開になるのかもしれません。久秀が命懸けで執着した天下名物・平蜘蛛茶釜がどのような運命をたどるのか、心して見守ろうと思います。

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