戦国時代、女性が見せた前代未聞の奮戦!夫と共に10倍の敵に挑んだ女武者・はなの壮絶な最期
大河ドラマ「豊臣兄弟!」にて、市が刀を振るうシーンが随所に見受けられたかと思います。実際に、お田鶴の方や市川局といった女性たちが武装して戦った記録が残っています。
その中に夫と共に戦った末に討ち死にした女性がいたことはご存知でしたでしょうか。
今回は、最後まで勇猛果敢に戦った女性・はなとその夫・諏訪頼辰(すわ-よりとき)についてご紹介します。
諏訪氏について
頼辰夫妻の紹介の前に諏訪氏について触れていきます。
諏訪氏は、諏訪明神が憑依した男児から始まったと言われています。
諏訪明神は男児に衣を着せ、その状態を大祝と称しました。それから代々諏訪大社上社の大祝を務め、諏訪明神を顕現してきました。
平安時代には神職に就いていない者は武士として戦い、源頼朝や北条得宗家に仕えました。
南北朝時代には北条時行を擁し、中先代の乱を起こします。鎌倉を奪う成果を出したものの、足利尊氏に奪い返されることとなりました。その後は宗義親王を奉じて、南朝方として戦いました。
室町時代になると、諏訪大社下社の大祝を務めていた金刺氏と対立。それをきっかけに諏訪氏の内紛にも繋がり、高遠氏や金刺氏を巻き込んだ内乱・文明の内訌が勃発します。
その結果、武家だった諏訪惣領氏が諏訪大祝氏を打ち破り、名実ともに諏訪郡一体を収めることとなりました。
やがて、武田信虎が戦国大名として頭角を現していくと、紆余曲折ありながらも信虎の家臣となります。
しかし、信虎を追放した武田信玄が当主の座につくと、侵攻してきた上杉憲政と独断で和睦したことを機に、両氏の関係は修復不可能なほどとなりました。
そして、当時の当主・諏訪頼重が信玄からの侵攻を受け、自害したことで戦国大名としての諏訪氏は天文11年(1542)に滅亡してしまいました。
10倍の敵に立ち向かった頼辰夫婦
前置きが長くなってしまいましたが、ここから頼辰夫妻の紹介となります。
諏訪頼隣(よりちか)の三男として生まれた頼辰は、従兄である頼重の死後に父と共に武田氏に仕えます。
兄には諏訪衆の筆頭となった諏訪頼豊、空席だった諏訪大社の大祝となった諏訪頼忠がいました。こんな経歴の兄たちの中で頼辰はパッとしなかったのかもしれません。
しかし、天正10年(1582)に起きた高遠城の戦いで活躍を見せました。
武田軍は高遠城城主・仁科盛信のもと、3万人の織田軍に対して3千人の兵で籠城戦にて迎え撃ちます。頼辰も妻のはなと共に戦いますが、10倍の兵力差にはかなわずに共々壮絶な最期を迎えました。
その際、はなは刀を抜いて敵兵を討ち取っていたことから、『信長公記』には「比類なき働き前代未聞の次第なり」との評価を受けています。はなのこのような獅子奮迅の活躍は夫だけではなく、周りの味方も勇気づけた事でしょう。
頼辰もはなの活躍を誇りに思ったに違いありませんね。
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