朝ドラ「風、薫る」後に“看護婦育成”を支えることに…黒川勝治(平埜生成)のモデル・瀬尾原始の生涯 (3/6ページ)
東京医学校(東京大学医学部の前身)で学ぶなど、従来の漢方医学だけでなく西洋医学にも通じた医者でした。
明治4(1871)年には、玄弘は高田で知命堂医院を開業。明治10(1877)年頃からは、上越地方の医療を高めるため、近代的な総合病院と医学専門学校をつくる構想を抱いていたとされます。
原始は、後継者としてだけでなく、玄弘の大きな構想を受け継ぐ存在として期待されていきました。
原始は新潟の英語学校に入学。そこで英語や数学を学び、上京後には外国学校で医者となるべくドイツ語を学んでいます。
明治11(1878)年、原始は東京大学医学部の予科(本科に入る前の課程)に入学。全国の秀才が集まる場所で、将来に向けて大きな第一歩を踏み出しました。
明治20(1887)年、原始は本科である東京大学医学部を卒業。成績のほとんどが「甲」という優秀な評価を得ていました。
それでも原始の向学心は止まず、大学院へ進んで外科学を学んでいました。
明治21(1888)年3月、原始は外科の助手を拝命。また、東京大学に開設された附属看護婦養成所の講師として、桜井女学校附属看護婦養成所から送られた委託生たちを指導しました。その中には、朝ドラのヒロインのモデルである大関和や鈴木雅らが含まれています。
この出会いが、のちの原始の人生にも大きな転換点となっていくのです。