国立劇場の不在は喪失か、それとも好機か?閉場で見えた“古典芸能”の新たな可能性と未来
当たり前のようにそこにあった場所が、突然なくなる。
それは、ただ建物が使えなくなるという話ではありません。そこに通う人、舞台に立つ人、いつかその場所を目指してきた人にとって、記憶や目標の一部が宙に浮く出来事でもあります。
日本の古典芸能を支えてきた国立劇場は、老朽化に伴う建て替えのため閉場しました。
しかし、資材高騰などの影響で再整備計画は難航し、完成予定は大きく先送りされています。では、この不在は、ただの喪失なのでしょうか。
想像していた未来と違う現実に直面した時、何を思い、どう動くのか。その判断が、新たな未来を切り開くことがあります。
国立劇場が直面しているのは、まさにその問いなのです。
直面した現実今年、設立から60年を迎え、様々な日本の古典芸能を発信する場所として、確固たる地位を築いてきた国立劇場。劇場公演だけでなく、「東日本大震災追悼式」をはじめ、様々な国家的行事の開催にも活用されてきました。
令和5(2023)年、深刻な老朽化への対応として、一旦閉場して、建て替えが行われることになりました。
一時的に、戦後日本の古典芸能の「殿堂」がその鼓動を止めることになるのですが、それでも、しばしの辛抱と己に言い聞かせて、その再開を心待ちにしていた演者や観客も多かったに違いありません。
しかし、事は急転します。
世界中を巻き込む物価高による建設資材の高騰などにより、二度も事業者選定ができない事態が生じました
参考:日本芸術文化振興会
当初の再建案では、ホテル・レストランなどの民間収益施設の併設を前提としていましたが、度重なる事業者選定不可の現状に、さすがに計画を変えざるを得ませんでした。
結果、2025年6月に当初建設予定だったホテルを必須条件から外し(自由提案としては残る)、新たに費用を算定しました(参考)。
当初は令和11(2029)年に私たちが新しい国立劇場を見れる予定でしたが、結果完成予定は令和15(2033)年度に変更され、さらに4年も待たなければならなくなってしまいました。
ある種、不可抗力も含めた要因とはいえ、「国立」と名の付く劇場がしばらくの間不在の状況は、日本の文化芸術の促進においては大きな痛手なことは、言わずもがなです。
「劇場」不在がもたらす新たな鼓動
劇場の閉鎖は、公演の縮小を意味します。それは「芸を磨く」という機会の断絶をも意味しています。
歌舞伎や文楽はもちろん、舞踊、邦楽、雅楽、声明、民俗芸能など多々ある古典芸能の披露の場であった国立劇場の不在は、各芸能とそこに携わる人々を路頭に迷わせる危険性さえ生じさせています。
しかし今、「国立劇場主催公演」として、数は少なくなったものの、公演は首都圏各地で引き続き行われています。
国立劇場の雰囲気に慣れ親しんだ方には、趣の違った舞台を見るという新鮮さを感じてもらえるものになっているでしょう。
また、触れる機会のなかったものが、もし身近に、歩いて行ける距離に、車や電車やバスで行ける距離に現れたら、燻ぶっていた興味関心を解き放つきっかけになるかもしれません。
「国立劇場に作品を見に行く」という行為も素晴らしいですが、国立劇場ではなくとも「作品を見に行く」機会が増えれば、芸能文化の裾野(すその)は広がっていきます。
むしろ、国立劇場の不在は、大きな拠点を失った反面、より広く様々な場所で、古典芸能に触れることのできる機会を生み出している可能性もあります。
そう、劇場の一時的な閉場は、その鼓動を止めるものではなく、新しい別の鼓動を生み出すきっかけでもあるのです。
積み上げてきた実績を力にす™る絶好機
古典芸能の地方公演という意味では、歌舞伎は公文協(公益社団法人全国公立文化施設協会)主催で全国各地の巡演が毎年行われています。文楽も、文楽協会主催で毎年地方巡業を行っています。
全国各地で古典芸能を目にする機会は確かに存在するします。ですが、劇場というハード面が不在の今、歌舞伎や文楽だけでなく、民俗芸能や舞踊や邦楽、雅楽や声明など様々な公演を企画し、60年以上にわたり培ってきたノウハウやスタイルを再認識して、「国立劇場主催公演」というソフト面からの「国立劇場」ブランドを今一度確立し、展開していく絶好機ともいえます。
筆者は常々、国立劇場の大きな功績は、多様な古典芸能の発信に力を注いできたことだと思っています。それまで知りもしなかった芸能を目にする機会を多くの人に提供してきたことこそ、国立劇場の存在意義です。
だからこそ、今は首都圏中心の展開となっている主催公演を、もっともっと、北は北海道、南は九州・沖縄まで、幅広く日本全国に「国立劇場」の名を冠した公演をやってほしいと強く願っています。
「あこがれの場所」を、もう一度とはいえ、やはり劇場の一日でも早い再開は強く望まなければなりません。
かつて日本舞踊のお稽古をしている人たちにとって、「いつかは国立劇場の舞台で踊る」というのは、目標でありステイタスである、というお話を聞いたことがあります。
国立劇場というのは各芸能のプロフェッショナルだけでなく、一生懸命に芸事に精進してきた一般の人たちに門戸が開かれている場所、「あこがれの場所」なのです。
再び「あこがれの場所」をつくること、それが日本文化の担い手を育てる大きな力になることは間違いありません。
国立劇場の存在というのは、世間が思っている以上に、重要な意義と使命を持っているのです。
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