『豊臣兄弟!』逃げた夫のせいで処刑…荒木村重の妻・だし(山谷花純)、信長の怒りに葬られた悲劇の生涯 (2/2ページ)
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夫・荒木村重の豪快な食べっぷりを微笑ましく見守る妻・だし (NHK『豊臣兄弟!』公式サイトより)
芯の強そうで知的な女性「だし」荒木村重の妻・だしといえば、平成26年(2014)の大河ドラマ『軍師官兵衛』で、俳優の桐谷美玲さんが演じたのを覚えている人もいると思います。
今回、だしを演じる山谷花純さんは、令和4年(2022)の大河『鎌倉殿の13人』で、源頼家の長男・一幡を産んだ比企能員の娘・せつ役を演じていたのが印象に残っています。
山谷さんは、「豊臣兄弟!」のオーディションを受けたときに最初は役が決まらなかったそうです。「諦めきれずいつかご縁がある事を信じ1年間着物を着る役を優先して過ごした」とのこと。
それだけ思い入れの強い役なので「自分にしか演じられないだしを残せるよう頑張ります。」と、公式サイトで語っていました。
初登場の荒木村重との食事のシーンは、芯の強そうで知的な女性というイメージでしたが、この先のあまりにも悲惨な運命をどう演じていくのでしょうか。
「自分にしか演じられないだしを残す」と山谷花純さん(NHK『豊臣兄弟!』公式サイトより)
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荒木村重とは20歳違ったものの仲はよかっただしは、摂津有岡城主・荒木村重の妻で、弘治4年/永禄元年(1558)に生まれたとされています。(諸説あり)
出自は、父は「石山本願寺」に仕えた川那部家の人物、母は田井源介の娘とする説、織田信長の側室・生駒の方と、最初の夫・土田弥平次との間に生まれた娘とする説があり、謎に包まれているようです。
だしは、池田城(現在の大阪府池田市)城主・池田勝正に家臣として仕えていた、荒木村重のもとへ嫁ぎました。村重には池田長正の娘が正室として存在していたため、継室・側室であった可能性のほうが高いようです。夫婦の年齢は20歳以上離れていたそうですが、非常に仲がよかったと伝わっています。
「だし」という、一度聞いたら忘れられないようにインパクトのある名前も諸説あります。
⚫︎有岡城(現在の兵庫県伊丹市)の城郭の出丸・「出し」に居住していたことから命名されたが、本名は「ちよほ」「かじ」だという説。
⚫︎だしはキリシタンだったので、洗礼名「Daxi」が由来という説。ただし、
辞世の句で、仏教の「西方浄土」へ行くだろうと詠んでいることから、この説は疑問視されています。
「今楊貴妃」とも呼ばれた美貌の女性
だしはとても「美しい女性」だったそうです。
たとえば『信長公記』では「だしと申すは聞こえ有る美人なり」(だしとは、有名な美人で知られている)とか、『立入左京亮宗継入道隆佐記』では、「一段美人にて、い名は今楊貴妃と名づけ申候」(一段と美人で、楊貴妃の再来もいわれている)などという記述があるとか。
また、美しいだけではなく、非常に教養があり知的な女性だったという説も。
ドラマ「豊臣兄弟!」では、荒木村重が「うまい!」と食事をする様子を見て「安堵…しておられるのですね」と微笑むだし。
「だって、その食べっぷり」と笑うと、村重は、「いろいろ上手くいかず、いつ上様から叱られると生きた心地がしなかった」と言います。
「わしはこれまで必死に生きてきたんじゃ。そなたのような美しい妻や子に恵まれた。あとは楽しくて面白く生きていきたい。
あわよくば、これまでやってきた播磨の国衆とのつながりを生かして、筑前に貸しの一つも作れればそれで十分じゃ」
という村重。
「何をおっしゃいます。それこそが強欲ではございませぬか」と返すだし。
歳の離れた妻ながら、村重が自分の胸の内を吐露したくなるような頼れる妻。
この仲睦まじい様子は、未来の残酷な運命の前振りに感じて戦慄します。浅井長政(中島歩夢)の嫡男・万福丸(※)がさりげなくフェードアウトしたように、「だしは逃げ切った」脚本にして欲しいと願ってしまいました。
※万福丸:信長の命令で磔にして串刺しにされた説が
こんなに甘えるほど仲良しなのに。 (NHK『豊臣兄弟!』公式サイトより)
夫・荒木村重のせいで悲劇的な最期を迎えるだしだしは推定21歳位という若さで「京都市中を引き回しのうえ斬首」というあまりにも残酷な運命を迎えます。
それもこれも、全部、夫・荒木村重のせい。
残された記録によると……
天正6年(1578)に勃発した織田家と別所家の間の「三木合戦」。村重は織田・豊臣軍に付きます。けれども、信長に「村重が石山本願寺と内通!」という情報が舞い込みます。石山本願寺は、信長から寺の明け渡しや矢銭(軍用金)を要求され、敵対関係にある間柄。
けれども、信長はその情報に対して「母を人質に出せ。そして安土城まで弁明来い。そうすれば許す」と寛大な条件を提示したのでした。
村重は、安土城に向かうものの、中川清秀と高山右近から「信長は、疑いを持ったらと許許すようなことはしない。毛利と組み籠城したほうがよい」と言われ有岡城に留まり籠城、信長に反旗を翻します。
それでも信長は村重を説得すべく明智光秀や豊臣秀吉など家臣達を派遣。けれども、村重は応じません。
ところが、今度は中川清秀と高山右近が信長に寝返り、天正6年(1578)有岡城は織田軍に包囲されてしまいました。
けれども信長は最大限の譲歩として「尼崎城と花隈城を明け渡せば、有岡城に残る人質の命を助けよう」と条件を出します。それも村重は頑なに拒否。
天正7年(1578)、村重はわずか5〜6人の共を連れ妻子も、重臣も、城兵も、有岡城に残したまま脱出。そのことで残っていた将たちは戦意喪失し有岡城は終焉を迎えたのでした。
「頑なに信長の申し出を断った挙句に自分だけ逃げた大将」にはほんと驚きですが、なぜ村重は謀反を起こした?・なぜ信長の条件を断り続けたのか?など、真実はいまだに解明されていないようです。
いろいろな説がありますが、「謀反を起こした」ことよりも、「愛妻や一族をすべて犠牲にして自分だけ逃げる」ことのほうが最大の謎。「は?なんで?」とこの“髭”の胸ぐら掴んで問い詰めてみたいです。
「太平記英勇伝三十八:荒木摂津守村重」(落合芳幾作)wiki
まさに信長による残虐過ぎるジュノサイド戦国時代、さまざまな大虐殺が記録に残されていますが、妻のだしを含む有岡城に残された人々の人処刑は凄まじいものだったと伝わります。
『信長公記』によると、
「嘆きもだえて声をあげて泣いて悲しむ姿は、見ていられなかった。その様子は、気丈な武士でさえも、岩や木のように黙って表情を変えることなく見守ることはできず、涙を流さない者はいなかった」
「地獄の鬼でさえここまでの呵責はしなかったろう。あまりのひどい様子に肝も魂も消えるほど、二度と見ることはできないほどだった。哀れなその様は、言葉では言い尽くすことなどできない」
という意味合いのことが書かれているそう。
これがすべて史実でなら、ここまでの大量殺戮をする信長の残虐性はもちろんのこと、この虐殺は想定はできたはずなのに、自分だけ逃げ出す荒木村重の行動にはぞっとします。
村重は逃げたその冬、信長はだしを含む荒木一族を京都へと護送。
翌日に、人質の妻女100数十人は、尼崎城外にて美しい着物を纏ったままの姿で処刑されます。
一方、京都へ護送されただし達は『妙顕寺』(京都府京都市)の牢へ入れられた後、大八車に縛り付けられ京都市内引きまわしの刑に。
六条河原へ到着し大八車から降ろされただしは、毅然と自ら着物の帯を締め直し、髪を高く結い首を差し出し、斬首されました。
このとき、荒木だしは21歳(24歳という説も)。よくも「見せしめ」に、ここまで極悪非道なことができたものだと言葉もありません。「戦国時代だからしかたない」という話もありますが、やはり怒りを覚えます。
だしの辞世の句に裏切り者の夫への本音が
だしの辞世の句があります。
「残しおく そのみどり子の 心こそ 思ひやられて 悲しかりけり」
みどり子とは3歳くらいまでの子のこと。子は乳母が連れて逃げたそう。その幼子を、「残していく子のことを思うと哀れで悲しい」という切実な母の心情が悲しい。
「磨くべき 心の月の 曇らねば 光とともに 西へこそ行け」
「私は、自分の心が曇るような恥ずべきことは何一つしていない。だから、輝く光とともに西方浄土へ行く」屈辱的な刑を処されても、己に恥じるようなことは何一つない。だから極楽浄土に行ける……村重に対して信長に対して、そう伝えたい。そんな意味合いのような気がします。
そして、夫にあて詠んだ句も。
「梢よりあだに散りにし桜花 さかりもなくて嵐こそ吹け」
「盛りが来ないうちに突然の嵐が吹き、梢から無駄に散ってしまう、そんな危うい桜の花のような夫婦の仲だった」そんな意味でしょうか。
あなたと私の絆は、満開にならず嵐で散った、その程度の仲でしたね。という、裏切り者の夫に向けた本音がこもっているような気がします。
荒木村重は、城を逃げ出すときに、名品といわれた茶道具「兵庫壺」を背負い、腰には「立桐筒」を結わえて、必死で逃げた……という逸話もあります。
「毛利に援軍を求めに行くため城を抜け出した」という説もあるようですが、じゃあ、なぜ茶道具を持って逃げ出すわけ?という謎が。
これが史実通りなら「お前、武将だろ?」と、この“髭”の胸ぐら掴んで鉄拳制裁したい。
村重は、毛利氏を頼って尾道(広島県)まで逃げ、信長が自刃するまで隠れて暮らしたとか。信長の死後は堺に移り「道糞(どうふん)」と名乗り茶人ライフを満喫したそう。のちに道糞から道薫に改めたそうです。「糞」だけで十分なのに。
「どんなことをしても自分だけは助かりたい。」が本音だったのでしょうか。
「強欲ではございませぬか」というだしのセリフが思い浮かびます。
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