『豊臣兄弟!』上月城の全員自害、史実は?別所長治はなぜ謀叛?饅頭こわい村重…第22回放送を考察
播磨国平定が順調に進んだと思いきや、裏切り裏切られの連続で幕を開けました。
別所長治(下川恭平)に裏切られた羽柴秀吉(池松壮亮)は、上月城を任せた尼子勝久(渡邉蒼)らを裏切った呵責から動転し、頭を打って記憶喪失に。
そんな秀吉の記憶を取り戻そうと羽柴小一郎(仲野太賀)らが奮闘した結果、母なか(坂井真紀)の登場で記憶がよみがえったのでした。
しかし今度は荒木村重(トータス松本)が饅頭こわいと謀叛を起こし……と今週も目まぐるしい第22回放送「播磨大誤算」、今週も気になるトピックを考察していきましょう。
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上月城で何が起きた?秀吉は降伏を許さず皆殺しに
上月城でのトラウマ?が原因で記憶喪失となってしまった「きれいな秀吉」。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
劇中では攻め込む前に城兵が全員自害しており、竹中半兵衛(菅田将暉)が「せっかくだから見せしめにしよう」と遺体を磔にしていました。
実際はどうだったのか?『信長公記』にはこのような記述があります。
……上月之城取巻被攻候(せめられそうろう)七日目に城中の者 大将の頸を切取持て来候て残党命被助候(たすけられそうろう)様にと歎申候(なげきもうしそうろう)を上月城主の頸(くび)則(すなわち)安土へ致進上 信長被懸御目(おめにかけられ) 上月に楯籠(たてこもる)残党悉(ことごとく)引出し備前 美作両国之境目に張付(磔)に悉懸置(かけおき)……
※『信長公記』巻十「十二 但馬播磨羽柴被申付(もうしつけらるる)事」
秀吉らが上月城を包囲、攻め立てること七日目、城内の者が大将・赤松政範(あかまつ まさのり)の首級を持って降伏してきました。
「この首級と引き換えに、生存者の助命を願いたい」という赤松の伝言を聞いた秀吉は、まず首級を織田信長(小栗旬)の元へ送った上で、生き残った者たちをことごとく殺します。
助命の約束?そんなものした覚えはありません。武士の情けで腹が膨れたりはしないのです。
そして全員の遺体を磔にかけ、備前・美作(いずれも岡山県東部)の国境地域に晒し者としたのでした。
なぜ秀吉がそんなことをしたかと言えば、北陸戦線での失態を埋め合わせするためと記述があります。
……今度(こたび)北国より帰陣仕御折檻(ごせっかん)迷惑之故西国にて可然(しかるべく)か責(呵責)をいたし是を見上(けんじょう)に可仕(つかまつるべし)と被存知(ぞんぜられ)夜を日に継懸廻(かけめぐり) 羽柴筑前 粉骨之働(ふんこつのはたらき)無比(くらべなき)題目(だいもく)也……
※『信長公記』巻十「十二 但馬播磨羽柴被申付(もうしつけらるる)事」
どうやら秀吉は信長から厳しくお仕置きされ、何とか汚名を返上したいと信長の気に入られようと、このように残虐な振る舞いに及んだようです。
そんな秀吉の必死な働きを、信長は「比べなき題目」と喜んだのでしょうね。
別所長治はなぜ反旗を翻した?秀吉の侮辱に激怒した可能性
決起挙兵した別所主従。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
これまでずっと従順だったのに、突如として反旗を翻した別所長治(下川恭平)。叔父であり後見人である別所賀相(田中美央)にそそのかされ、もう一人の叔父にして後見人の別所重棟(忍成修吾)には見限られてしまいました。
なぜ別所長治は織田と羽柴に反旗を翻したのでしょうか。その理由は諸説ありますが、恐らく諸要素が絡み合った結果と考えられます。
中でも決定的な引き金となったのが、秀吉の横暴な態度に怒りを覚えたからではないでしょうか。
時は天正5年(1577年)12月、播磨を「平定」した秀吉は別所重棟の娘(長治から見て従妹)を、小寺官兵衛孝高(倉悠貴)の息子である松寿丸(後の黒田長政)へ嫁入りさせようとしていました。
当時の婚姻関係は、上意すなわち格上の者が指図することが一般的です。つまり秀吉は別所家を自身と対等の織田家臣とは見ておらず、小寺家と同格≒秀吉の家臣扱いしているも同然でした。
守護大名・赤松氏の流れをくむ名門・別所家が、秀吉などの下風には立てません。あくまで自分たちは信長に臣従したのであって、信長の家臣(秀吉)の家臣となったつもりはないのです。
そんな扱いを受けてなお媚びへつらえば、ひらすら隷従の道を歩まされるばかりでしょう。たとえ一族ことごとく滅ぼされようと、武門の意地をかけて長治は挙兵(織田から見れば謀叛)に踏み切ったのでした。
【豊臣兄弟!】織田を裏切った代償は大きすぎた… 別所長治(下川恭平)を待っていた惨劇、壮絶な最期 秀吉に見捨てられた上月城と尼子主従、再興の志果てる
天を仰ぐ秀吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
赤松政範を滅ぼした後、上月城を預けられた尼子勝久と山中幸盛(廣瀬友祐)は、迫りくる毛利の大軍に一歩も退かず、最期まで戦い抜きました。
彼らが恃みにしていた秀吉は三木城=別所対策に追われており、上月城を見捨てざるを得なかったようです。
秀吉は勝久らに上月城を放棄するよう使者を送っていますが、勝久らはここを死に場所と定めていたらしく、これを聞き入れませんでした。秀吉にすればやむを得なかったと言えるでしょうか。
かくして勝久らは決戦に臨み、刀折れ矢尽きるまで戦ったのです。軍記物語『陰徳太平記』では勝久が毛利に降伏する際、幸盛はじめ家臣たちに感謝を述べる場面がありました。
本来ならば僧侶として一生を終えるはずだったのに、皆が尼子再興の望みを託し、大将として担ぎ上げてくれたのです。勝久とすれば、武家の男子としてこれ以上の喜びはなかったことでしょう。
そして勝久は自刃し、捕虜となった幸盛はなおも尼子再興を諦めず、護送中に逃亡を図って斬殺されてしまいました。
最期まで尼子再興を諦めなかった山中幸盛は、日本史上でも屈指の英雄に数えられ、今も人々から愛され続けています。
【豊臣兄弟!】上月城に入った尼子勝久(渡邉蒼)とは?山中幸盛と尼子再興を夢見るも悲劇的な末路をたどる 饅頭こわい?信長が突き出した刀を前に、村重は……
村重に饅頭を食べさせてあげる信長。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
信長に謀叛の疑いをかけられてしまった村重が、刀に刺した饅頭を食わされる場面は、軍記物語『絵本太閤記』が元ネタです。しかし時期は異なり、村重が初めて信長に謁見した時のことでした。
村重が「それがしにお任せ下されば、摂津一国を斬り従えてご覧に入れましょう」と大言壮語するので、信長は自分が食っていた饅頭を刀で刺し貫き、それを村重に突き出したのです。
……某(それがし)に切取の事を仰付られしかば身命を抛(なげうち)切鎮めるべしと言上なるに春永(信長)莞尓(かんじ/にっこり)として答をなさず坐右と見たまふに高坏(たかつき)に饅頭を盛並しものあり腰刀を引抜切先に三つ五つ串貫(さしつらぬき)いうに村重我寸志なり食すべしとて目の上に差付たまふ一坐色を失なふ中に荒儀(荒木)聊(いささか)恐るるさまなく有がたしとにじりより大の口をくわつと開き切先に貫し饅頭を只一ト口(ひとくち)に食ん(くわん)となす春永(信長)大きに笑いたまひ聞及し汝(なんじ)が大膽(だいたん)我をかく驚せり望に任せ切取て摂津守たるべしと仰ければ村重面目を施し直(すぐ)に打立程なく一国を切従へしが……
※歌川国芳「太平記英勇傳 荒儀摂津守村重」
信長が笑顔で刀を突きつけてくるなんて、実に恐怖以外の何物でもありません。周囲が恐れおののく中、村重当人はためらうことなく大口を開け、饅頭を一口で平らげたということです。
この豪胆ぶりこそ村重の真骨頂であり、また大言壮語を実現せしめるだけの武勇と知略を兼ね備えて摂津一国を斬り従えたのでした。
まさに下剋上の申し子!家臣と領民への裏切りに関しては戦国時代トップクラスのクズ武将・荒木村重 第23回放送「さらば半兵衛」
第23回放送「さらば半兵衛」。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
荒木村重(トータス松本)が謀反を起こした。独断で村重の説得に向かった官兵衛(倉悠貴)は、捕らわれの身となってしまう。官兵衛が裏切ったという噂が流れる中、信長(小栗旬)から、長浜で寧々(浜辺美波)が預かっている官兵衛の子を始末しろという命令が。半兵衛(菅田将暉)は、ためらう秀吉(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)に、幼い命を救う策を提案。だが、差配を任され長浜へ向かう半兵衛の胸には別の思惑があった。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
残念ながら、ここ最近生き急いでいた半兵衛がここまでのようです。次の軍師として見出した小寺官兵衛に後を託し、どのような最期を飾るのでしょうか。
また荒木村重の謀叛がどのような展開を迎えるのかにも注目です。次週も目が離せませんね!
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