豊臣秀吉の旧姓「羽柴」はなぜ丹羽長秀と柴田勝家から取られた?秀吉が“天下人候補”になった転機 (1/3ページ)
「天下人候補」へ
豊臣秀吉の出世物語と聞くと、誰しも「草履取りから天下人へ」というドラマティックなストーリーを思い起こすことでしょう。
実際、彼はよく身分の低さから異例の大出世を遂げた人物として紹介されがちでした。
しかし史料を冷静に読むと、秀吉が「地方領主」から「天下人候補」へと格上げされた瞬間はもっと地味で現実的な場面だったことが分かります。
まずは、浅井氏の滅亡後に北近江三郡を与えられた時です。
元亀四年、小谷城攻めの実行役を務めた秀吉は、浅井長政の居城だった小谷城と旧領三郡を丸ごと拝領します。『信長公記』によれば、この地は石高十二万石ほどの大領で、織田家中でも上位に食い込む規模でした。
つまりこの瞬間、秀吉は「地方の便利な武将」から織田信長の側近に匹敵する大名へと一気に跳ね上がったのです。
では、秀吉はなぜこの時期に“天下人候補”と見なされるようになったのでしょうか。
「羽柴」藤吉郎という肩書秀吉の転換点を象徴するのが、元亀四年七月の改名です。
この時、それまでの「木下藤吉郎」から、「羽柴藤吉郎」へ改名されたのは皆さんもご存じの通りです。しかしこれは、単なる名前の変更ではありませんでした。
実は羽柴の「羽」は丹羽長秀から、「柴」は柴田勝家から取られたとされているのです。